【社会人の先輩・Mさん 】【1年目】 仕事やこれまでのキャリアについてざっくばらんに聞いてみる(3/3)
森:「こういう風に働きたいな」って思ったきっかけとかはあるんですか。
M:こういう風にっていうのは今の(働き方)?
森:刷り込みかもしれないですけど、私からしたらMさんは、はじめて見た「楽しそうに働いている社会人」なんですよ。
M:笑。それはね、俺が(自分の好きなものに対して)打算で生きてるからだと思う。
森:ふーん。
M:行き当たりばったりなの。好きなものはやっぱゆずれないのよね。ある意味社会人に向いてないと思う、本当に。だってふつうで考えたら、放送局からその下請け会社に入るなんてことはありえないわけだよね。
森:ああ、まあそうですね。
M:そこの局の下請け会社ではなかったにせよ、でも、仕組みとしては下請け会社に転職するわけだから。でもわかったわけだよね、放送局に入って。「あ、ここで働いてても自分のやりたいことはできないぞ」って。
森:うん。(←私の場合はリサーチ不足なだけかもしれませんが、そもそも制作希望で入ったはずの会社がほぼ外注でモノをつくっていて、できてもディレクションぐらいというのはめずらしくないことで、悩ましいところだと思います)
M:で、給料はたしかによかったんだけど、今はね経営者だからお金が大事って思うけど、当時は「そんなにお金って大事なのかなー」とかって思ってて。今から考えたら高い給料だったし、そんときもね思ってたの。「こりゃもらい過ぎじゃないの?たいした仕事してないのに」って。なんかそれが気に食わなかったのもあんのかな。その辺はもしかしたらスーパーロックKYOIのせいかもしれないんだけど。ロックが好きだったから。
森:どういうことですか(笑)。
M:お金がいっぱい貯まっていくことにある意味ちょっとこわさもあったのかもね。転職したのって29歳のときで。30代って(それまでとは)なんか違う感じがしてたし、「もしかしたら人生そこで終わりかも、いつ死ぬかわかんない」とか考えてた時期で。で、しかもね、20世紀から21世紀に変わるタイミングだったの。2000年なの、俺が29歳のときって。
森:へー!2000年問題とかがあった2000年。
M:そう、Y2Kとか言ってたもん。で、なんかそういうのも手伝ったんだろうね。あとはね、キー局の研修とかに行く度に、がっかりすることが多かったの。
当時はBSを開局させる直前で。そのキー局ってさ、何が弱いって全国ネットって言っても6局しかないわけ。「うちは全国ネットですよ」って言っても6局しかない。主要都市でも仙台とか広島とかでかい都市なのにないわけ。静岡もないでしょ、けっこう大きな都市なのにないの。そういうのをたぶんすごくマイナスに、ネガティブに考えてた放送局だから「BSができたらすごいことになる」ってキー局の人たちは思ってたわけ。「うちの局もようやく全国フルネットの時代が来るんだ!」と。
森:めでたく。
M:そういうふうでさ、当時キー局の若い社員とかと飲みに行ったりすると「地方局なんていらないよねー」って。地方(名古屋)から来てんだよ、俺!(笑)。その俺を目の前に「地方局なんてもういらない時代なんだよね」って(笑)。「衛星から流せばいっぱつで全国に届くわけだから、もうそれでいいんだよ」と。「たしかにな」と思ったよ。「たしかにそうだ」と思った。
本音ではキー局はみんなそうしたいと思ってると思うよ。地方局にネット保証料とか払ってるわけよ、今。ネットワークを組んでもらうためのお金。
森:そんなのいらないじゃんって。
M:そのお金もいらなくなる。だって(衛星)いっぱつで済むからね。みんな今思ってると思うよ、こんだけデジタルテレビが普及したら。特にテレ朝(笑)。
森:笑。
M:そういうのも聞いてたから、「ああ、そっか。いつかは(中継局としての地方局は無くなるかもな)、たしかにな」って。で、もうインターネット時代も始まってたし。そう言われりゃ自分のいる名古屋の放送局ってのはほとんどローカル番組もなくて、ローカル番組やっててもむなしいのね。視聴率も低いし。ほとんど東京の番組中継、まあ、中継局だよねほとんど。
それだったら…俺が気になってたのが、そばでやってたFMラジオ局。ローカルで24時間生で放送やってるっていう。東京の番組がいっさい流れないっていう。今は流れてるけど、諸事情で。
森:諸事情で(笑)。
M:でも、当時は24時間編成だったんだよね。しかも全部、生でね。夜中の3時4時であれ。で、「どんな風にやってんのかな?」って。テレビの感覚からしたらありえないんで、
森:24時間、生放送。
M:「どんな風にやってんだろう?」ってすごい興味があって、あとはそのスーパーロックKYOI体験だよね(笑)。「音楽専門局って楽しそう!」って。で、そこの番組をつくってる制作会社に転職したの。
森:ふーん。
M:それは見事、的中して。本当楽しかったね、あの時代。うん。
だって音楽聴くのが仕事だからね、選曲するのが。で、レコード会社さんからはリリース前のCDをいっぱいもらえるわけよ。誰よりも早く聴けるわけね、新作が。で、「これは音楽ファンにとってはたまんない。なんて向いてる仕事に就いたんだろう」って思ったんだけど(笑)。
転職した制作会社はね、わりとね、報道が強いの。というのは、社長が元文化放送の人なんだよね。文化放送ってものすごい骨のある報道を昔からやってて、新聞で言えば東京新聞に近い感覚の放送局。で、そこ出身の人だから、ラジオ局で担当した番組も朝のわりとニュースが多い番組。あと、ジェームス・ヘイブンス(名古屋で有名なDJ)を見いだしたのもその人。東京から連れてきたの、ZIP-FMの開局のときに。
森:へー。
M:俺ね、いまだに忘れられないのが、面接で社長に「きみ、どんな番組やりたいんだ?」って言われて。インターネットでよくアメリカの(ラジオ)放送聴いてたんだけど、アメリカのFM局でもモーニングショーってトーク番組があるわけよ。メインのDJが二人いて、あとは交通情報の人、天気予報の人、ニュース読む人って5人ぐらいがみんなばーってしゃべってる。ただひたすら世間話をして、「それでは、ニュースお願いします、○○さん」みたいな感じでふってニュース読んで、「交通情報はどうなってんの?」みたいな感じで、それ以外の時間はずーっとしゃべってる。で、「ああいうにぎやかな番組を日本でやりたいです」って言ったら「それはね、InterFMっていう放送局が東京でやってんだよ。もう収集つかないことになってたよ」って(笑)。
森:笑。
M:InterFMではアメリカのFMに近いベースでやってたんだけど、本当に無駄話で終わっちゃう番組だったんだって。収集つかなくなっちゃってて。(社長が)「あれもやったけど、ちょっと…むしろ…っていうよりさ、名古屋にはジェームス・ヘイブンスっていう人間がいるだろ?」って。「ああ、知ってますよ」って。「彼が交通情報センターにいるっていう設定はどうだ!」とか言われて(笑)。
番組のメインのDJはおもしろくなくていいんだって。ただ、あの番組はなんか交通情報だけは面白いぞ、と。「みんなで交通情報を楽しみにその時間を待ってるっていう、そういう番組はどうだ!」とか(社長に)言われて、「ついていきます!」って。そんなこと考えないもん、当時の俺。
森:交通情報だけおもしろい(笑)。
M:「情報センターのジェームスです!」って出てきて。「交通情報っていう堅くなきゃいけないところにあの人がいるっていう設定はどうだ?」って。その発想自体、俺できなかったからね、当時。徹底的に叩き込まれたよね、「普通の番組はやるな」と。もう「逆を行け、逆を行け」ってね。「とにかく誰もやってないものをつくれ」って。徹底的に叩き込まれた6年間だった。
森:そこはなんで辞めたんですか?
M:もう、給料減りそうだったから(笑)。
森:…ふーん。(そんなもん?)
M:っていうのはウソで、テレビ局を辞めたあともね、そこのテレビ局が人が足りないって言ってね、バイトで仕事やってたの。転職した制作会社には内緒で。で、ローカルの生番組とかよくやってたのね。
森:へー(笑)。
M:ひとつはそれがきっかけで。あるとき…「どまつり」(にっぽんど真ん中祭り)ってあるでしょ?
森:うん、愛知で。
M:あれのテレビの生中継の現場ディレクターをやってたの。そしたら現場のPAをやってる人たちが実は、担当してるラジオ局のミキサーさんチームだったわけ。
森:笑。いろいろまずい。
M:で、バレて、「あれ何やってるんですか、Mさん!」とか言われて。「いや、あの、ちょっと言われたからやってんだけど(笑)」みたいな。
森:(業界せまいから)もっと早くばれそうやのに。
M:あと、テレビのバイトの給料があがってきちゃったのね、やりすぎて(笑)。こりゃまずいなってぐらいの金額になってきちゃった。最初はね、数万円だったんだけど。最後のほうはもうほぼ(制作会社の)給料に匹敵するぐらいまでやっちゃったからね、言われるがままに。
で、「ああ、やっぱりテレビもおもしろいよな」って思ったし。「こりゃちょっとまずいよな」と思ってたけど、最終的にバレたってのがきっかけのひとつ。
森:バレた(笑)。
M:もうひとつはね、他のラジオ局でしゃべらせてもらう機会があったんだよね。当時、他のラジオ局のプロデューサーの人がね、兼アナウンサーなんだけど、
森:プロデューサー兼アナウンサー!
M:ラジオってそんなもんだよ。
森:へー。
M:その人が、4月から始める土曜日のワイド番組で、音楽コーナーを考えてたんだけど、コメンテーターの人が急遽「出られない」と言ってきたと。2週間前だよ、番組始まる。
森:笑。
M:「Mさん、こういうコンセプトでできない?」と。「世界中の変な音楽を紹介するっていうコーナーをやってもらえないか」と言われて。「そりゃやりたいんだけど、普段別のラジオ局で仕事やってるから、どうかなぁ…」っていう(笑)。その人とは旧知のなかだよ。同じ大阪の豊中出身の人で、テレビ局時代から知ってた飲み仲間だったから。「俺もぜひやりたいんだけど、ただ周りがどう言うかってのはあるんで、ちょっと一回聞いてみるわ」って。で、担当してるラジオ局に相談したら、やっぱNG出たよね。「ライバル局にお前が」って。当時から俺、放送にも出ちゃってたからね、ADで。
森:出てましたね(笑)。
M:「ダメ」って言われて。いちおう自分の制作会社の社長にも報告したの。「本当は俺としてはやりたいなって思うんですけど、こうこうこういう経緯があって、ちょっと(担当してるラジオ局の)あの人に怒られちゃったんで、そのことだけ報告しておきます」って。社長は「はあ?何言ってんだ!あいつ」って(笑)。
森:笑。
M:「だからラジオがダメになっちゃうんだよ!」って言ってくれたの。
森:へー!
M:で、その人を説き伏せたんだろうね。裏で何があったのか知らないけど、OKが出たの。担当してるラジオ局の(NGを出した)その人から。
森:いや、社長かっこいいですね。
M:(社長に報告した)3日後ぐらいに「Mさん、ちょっといい?あれね、うちOK出たんで」って(笑)。「えー!」ってなって。
森:すごーい!
M:でもそんときにね、ちょっと思ったんだ。「ああ、こりゃもうラジオの心の崩壊がはじまってるな」って。たしかにね、うちの社長の言うとおりで。「そういうことに文句を言うとかクレームをつけるとかいう問題じゃないだろ!」って。ラジオ全体でもう考えないと。
森:そもそも。
M:もう当時からリスナー減ってたからね。「(他局の放送に出る出ないのの)こういうやりとりもイヤな感じだな」って。で、バレたのもあったし、いちおう俺を応援してくれたその制作会社とは、契約という形に切り替えて会社をつくったの。「テレビもラジオも両方しますよ」と。「これでようやくちゃんと公にできますよね」と(笑)。「両方やります」って言ったんだけど、ラジオはもうなくなっちゃった(笑)。
森:笑。
M:だから、自分が会社つくるなんて思ってなかったよ。
森:でも、聞いてるとサクセスストーリーやなと思います。
M:いやいや、サクセスかどうかわかんないよ。今、成功してるかどうかなんてわかんないからね。
森:うーん。
M:このあと、破産宣告されるかもしれない(笑)。
森:笑。いや、でもそんだけ売れっ子ってことですからね、個人で。
M:…すごく恵まれてたのはあると思う。たぶんいろんな人から「やって」って、「お前手伝えないの?」とかって言われて、ほいほい行ってた自分が(笑)。普通だったら行かないんだろうね。
森:「仕事でこういうところは大事にしよう」っていうのはあったりするんですか。いっかんして。
M:「こういうのはやらない」ってのはあるよね。
森:ふーん!
M:福島の事故の前の話だけど、原発がらみの番組は二回目以降はやらなかった。あと、むちゃくちゃ金額がよかったやつ。これはね、100万円を提示されて3分間ただ山とか川とかを撮ってくれっていう仕事があって(笑)。
森:そんな仕事があるんですか!笑
M:「むちゃくちゃおいしいじゃん!」って。だってそんなん1日でできちゃう仕事なのに。3分間の映像。よくよく聞いたら、某新興宗教がスポンサーになる天気予報のバックで流れる映像。これはもう実態を知ったら「やっぱごめんなさい、それはちょっとない」って。いくらお金に困ってても、自分の信条にかぶらないとね。
森:逆にそこぐらいなんですか。
M:かなぁ…
森:こだわりポイントというか。
M:いや、これはやらないって意味ではもっといっぱいあるよ。あぶないものはやらないし、当然アダルトビデオもやらないし、そういうのはやらないけど。
俺、本当に飽きっぽいからいつも5年周期でやりたいことが変わるんだけど(笑)、
森:笑。うん…
M:今の会社もようやく5年目に入って、今まだひきつづきやってられるのは、企業もののVP(Video Package)をやるようになったから。昔は「企業VPってどうなの?そういうのとか?」って思ってたんだけど、今は逆にそれがすごいおもしろくって。
まあ、お金も当然入ってくるからありがたいっていうのもあるんだけど、それ以上に、放送局のディレクターとして番組をつくってると、いつも常に第三者。ところが企業VPってもっと中に深く入っていくでしょう?機密事項もけっこう扱うのよ。それこそ大きな会社の社長さんの社内向けの新年あいさつとかさ(笑)。「ああ、そうだったんだ」とかいろいろ知るのよ。放送局の記者よりも絶対知る…んだね、取材先の本当の姿を。
森:うん、意図とか理念とか、
M:とか、あるいは(会社の)状況だとか。「えー意外とみんな知らないんじゃない、こんなこと」って。「これだめよ、言っちゃ」って言われてるから言わないけど。だけど「そっか」と思って。一時期、ラジオやってたときに「お金が大事」と思った時期があって。自分の給料が減っていくって場面に直面したから。で、本気でなんでもない会社とかに転職しようとか思ってたの。メーカーとかに。
森:へー!意外!
M:30いくつぐらいかな? 登録したことがあるのよ、(転職サイトとか)そういうところに。だけど、やっぱりしっくりこなかったのね。
自分のなかで今になってようやくわかったんだけど、企業VPをつくってて「この会社に入りたいな、ここだったら働きたい!」って思う会社が本当に少ないの。で、「今、自分はすごいめぐまれた仕事をしてるな」と思って。関係ないのに関係してるっていう変な関係じゃん。別にそこの業績に貢献もしないんだけど、そこの会社の奥深くのとこまでは知っちゃってるぞと。
森:うん。
M:向こうもこちらを信頼してるからそこに入らせてくれるわけだよね。そういうほうが、たぶん放送局でジャーナリストをやるよりも真実がわかるというか、「そうか、この会社はこういう風に儲けてるんだよね」とか、あるいはそこで働いている人たちの気持ちとかもたまに出てきたりとか。
そういうのがすごいおもしろくなってきたってのはある。自分のポジションがより明確になってきた感じはすごいする。「俺は今こういうことをやんなきゃいけない」とか。
森:私がデザイナーをやりたいなって思ったのは、自分の知らない世界を知れるから。なので近いのかも。しかも、お客さんの情報発信の手伝いをするわけだから、ものごとの本質を見る、知れる。と、まだまだお話は続きそうですが、そろそろ時間なので今年のインタビューはこの辺で。
M:はい。
森:お付き合いいただき、ありがとうございました。
インタビューのなかのM少年やM青年は、同級生にもいそうな「それなりに《俺の世界》がある男子」でした(笑)。社会人として尊敬する相手の、考え方や働き方に影響を与えた人・モノの話を聞くのは、なかなか楽しい時間でした。ありがとうございました!
(ご本人は普段取材する側だからか、記事を読んでつまんない話だなという感想でしたが、私は今まで断片的に聞いていた話がつながっておもしろかったです)
インタビューのはずが途中なぜか私の人生・制作活動相談も要所要所でけっこうな時間挿まれ、それに対してあいかわらず、結論としては「自分がおもしろいと思うものをつくったらいいよ」とスパッと言ってくれる存在は、まだまだ迷い続けるアラサーにとって、やはりありがたいものです。
さあ、飽きっぽいMさんは企業VPにも飽き始めて次に行きそうな気もしますが、どうなっていくのでしょう。諸事情により2013年のインタビューは実施していませんが(申し訳ありません…)、ひきつづきよろしくお願いします!
《おまけの追記》
記事を書きながら、このインタビューをした2年前とは私自身もけっこう変わったなと思います。Mさんの制作者としてのとんとんなサクセスストーリーを、当時27歳の私はどこか嫉妬まじりに聞いていましたし(そして「おお、やっぱり彼も業界の人なのだな」と思った)、社会人として尊敬する彼と自分との共通点をどうにか見つけようと必死だったもようです。「知ることが好き」「飽きっぽい」「ゆるいけど打算的(←大変失礼発言!)」以外は、共通点があまりないという事実を30歳直前の今はすんなりと受け入れられます。実際、今の私のキャリアからすると、仕事の話で身をもって共感できるのは最後の企業VPのくだりぐらいです(笑)。
世間知らずな小娘は「私が見えていないものも見ていて、考えられないことを考えられて、おもしろいものを自然とつくり続けられる強い&すごい人」という勝手な憧れを長らくMさんに抱いていましたが、自分が社会に出て7年目ともなると、もちろん彼の能力の高さもあるけれど、それは経験に裏打ちされた部分も多く、悩みや葛藤がそれなりにある、という当たり前の事実もだんだんと見えてくるようになりました。時間が経つにつれ、妄想のような勝手な憧れが現実味を帯びた尊敬に変わってきたのは、よいことなのだと思います。
M:こういう風にっていうのは今の(働き方)?
森:刷り込みかもしれないですけど、私からしたらMさんは、はじめて見た「楽しそうに働いている社会人」なんですよ。
M:笑。それはね、俺が(自分の好きなものに対して)打算で生きてるからだと思う。
森:ふーん。
M:行き当たりばったりなの。好きなものはやっぱゆずれないのよね。ある意味社会人に向いてないと思う、本当に。だってふつうで考えたら、放送局からその下請け会社に入るなんてことはありえないわけだよね。
森:ああ、まあそうですね。
M:そこの局の下請け会社ではなかったにせよ、でも、仕組みとしては下請け会社に転職するわけだから。でもわかったわけだよね、放送局に入って。「あ、ここで働いてても自分のやりたいことはできないぞ」って。
森:うん。(←私の場合はリサーチ不足なだけかもしれませんが、そもそも制作希望で入ったはずの会社がほぼ外注でモノをつくっていて、できてもディレクションぐらいというのはめずらしくないことで、悩ましいところだと思います)
M:で、給料はたしかによかったんだけど、今はね経営者だからお金が大事って思うけど、当時は「そんなにお金って大事なのかなー」とかって思ってて。今から考えたら高い給料だったし、そんときもね思ってたの。「こりゃもらい過ぎじゃないの?たいした仕事してないのに」って。なんかそれが気に食わなかったのもあんのかな。その辺はもしかしたらスーパーロックKYOIのせいかもしれないんだけど。ロックが好きだったから。
森:どういうことですか(笑)。
M:お金がいっぱい貯まっていくことにある意味ちょっとこわさもあったのかもね。転職したのって29歳のときで。30代って(それまでとは)なんか違う感じがしてたし、「もしかしたら人生そこで終わりかも、いつ死ぬかわかんない」とか考えてた時期で。で、しかもね、20世紀から21世紀に変わるタイミングだったの。2000年なの、俺が29歳のときって。
森:へー!2000年問題とかがあった2000年。
M:そう、Y2Kとか言ってたもん。で、なんかそういうのも手伝ったんだろうね。あとはね、キー局の研修とかに行く度に、がっかりすることが多かったの。
当時はBSを開局させる直前で。そのキー局ってさ、何が弱いって全国ネットって言っても6局しかないわけ。「うちは全国ネットですよ」って言っても6局しかない。主要都市でも仙台とか広島とかでかい都市なのにないわけ。静岡もないでしょ、けっこう大きな都市なのにないの。そういうのをたぶんすごくマイナスに、ネガティブに考えてた放送局だから「BSができたらすごいことになる」ってキー局の人たちは思ってたわけ。「うちの局もようやく全国フルネットの時代が来るんだ!」と。
森:めでたく。
M:そういうふうでさ、当時キー局の若い社員とかと飲みに行ったりすると「地方局なんていらないよねー」って。地方(名古屋)から来てんだよ、俺!(笑)。その俺を目の前に「地方局なんてもういらない時代なんだよね」って(笑)。「衛星から流せばいっぱつで全国に届くわけだから、もうそれでいいんだよ」と。「たしかにな」と思ったよ。「たしかにそうだ」と思った。
本音ではキー局はみんなそうしたいと思ってると思うよ。地方局にネット保証料とか払ってるわけよ、今。ネットワークを組んでもらうためのお金。
森:そんなのいらないじゃんって。
M:そのお金もいらなくなる。だって(衛星)いっぱつで済むからね。みんな今思ってると思うよ、こんだけデジタルテレビが普及したら。特にテレ朝(笑)。
森:笑。
M:そういうのも聞いてたから、「ああ、そっか。いつかは(中継局としての地方局は無くなるかもな)、たしかにな」って。で、もうインターネット時代も始まってたし。そう言われりゃ自分のいる名古屋の放送局ってのはほとんどローカル番組もなくて、ローカル番組やっててもむなしいのね。視聴率も低いし。ほとんど東京の番組中継、まあ、中継局だよねほとんど。
それだったら…俺が気になってたのが、そばでやってたFMラジオ局。ローカルで24時間生で放送やってるっていう。東京の番組がいっさい流れないっていう。今は流れてるけど、諸事情で。
森:諸事情で(笑)。
M:でも、当時は24時間編成だったんだよね。しかも全部、生でね。夜中の3時4時であれ。で、「どんな風にやってんのかな?」って。テレビの感覚からしたらありえないんで、
森:24時間、生放送。
M:「どんな風にやってんだろう?」ってすごい興味があって、あとはそのスーパーロックKYOI体験だよね(笑)。「音楽専門局って楽しそう!」って。で、そこの番組をつくってる制作会社に転職したの。
森:ふーん。
M:それは見事、的中して。本当楽しかったね、あの時代。うん。
だって音楽聴くのが仕事だからね、選曲するのが。で、レコード会社さんからはリリース前のCDをいっぱいもらえるわけよ。誰よりも早く聴けるわけね、新作が。で、「これは音楽ファンにとってはたまんない。なんて向いてる仕事に就いたんだろう」って思ったんだけど(笑)。
転職した制作会社はね、わりとね、報道が強いの。というのは、社長が元文化放送の人なんだよね。文化放送ってものすごい骨のある報道を昔からやってて、新聞で言えば東京新聞に近い感覚の放送局。で、そこ出身の人だから、ラジオ局で担当した番組も朝のわりとニュースが多い番組。あと、ジェームス・ヘイブンス(名古屋で有名なDJ)を見いだしたのもその人。東京から連れてきたの、ZIP-FMの開局のときに。
森:へー。
M:俺ね、いまだに忘れられないのが、面接で社長に「きみ、どんな番組やりたいんだ?」って言われて。インターネットでよくアメリカの(ラジオ)放送聴いてたんだけど、アメリカのFM局でもモーニングショーってトーク番組があるわけよ。メインのDJが二人いて、あとは交通情報の人、天気予報の人、ニュース読む人って5人ぐらいがみんなばーってしゃべってる。ただひたすら世間話をして、「それでは、ニュースお願いします、○○さん」みたいな感じでふってニュース読んで、「交通情報はどうなってんの?」みたいな感じで、それ以外の時間はずーっとしゃべってる。で、「ああいうにぎやかな番組を日本でやりたいです」って言ったら「それはね、InterFMっていう放送局が東京でやってんだよ。もう収集つかないことになってたよ」って(笑)。
森:笑。
M:InterFMではアメリカのFMに近いベースでやってたんだけど、本当に無駄話で終わっちゃう番組だったんだって。収集つかなくなっちゃってて。(社長が)「あれもやったけど、ちょっと…むしろ…っていうよりさ、名古屋にはジェームス・ヘイブンスっていう人間がいるだろ?」って。「ああ、知ってますよ」って。「彼が交通情報センターにいるっていう設定はどうだ!」とか言われて(笑)。
番組のメインのDJはおもしろくなくていいんだって。ただ、あの番組はなんか交通情報だけは面白いぞ、と。「みんなで交通情報を楽しみにその時間を待ってるっていう、そういう番組はどうだ!」とか(社長に)言われて、「ついていきます!」って。そんなこと考えないもん、当時の俺。
森:交通情報だけおもしろい(笑)。
M:「情報センターのジェームスです!」って出てきて。「交通情報っていう堅くなきゃいけないところにあの人がいるっていう設定はどうだ?」って。その発想自体、俺できなかったからね、当時。徹底的に叩き込まれたよね、「普通の番組はやるな」と。もう「逆を行け、逆を行け」ってね。「とにかく誰もやってないものをつくれ」って。徹底的に叩き込まれた6年間だった。
森:そこはなんで辞めたんですか?
M:もう、給料減りそうだったから(笑)。
森:…ふーん。(そんなもん?)
M:っていうのはウソで、テレビ局を辞めたあともね、そこのテレビ局が人が足りないって言ってね、バイトで仕事やってたの。転職した制作会社には内緒で。で、ローカルの生番組とかよくやってたのね。
森:へー(笑)。
M:ひとつはそれがきっかけで。あるとき…「どまつり」(にっぽんど真ん中祭り)ってあるでしょ?
森:うん、愛知で。
M:あれのテレビの生中継の現場ディレクターをやってたの。そしたら現場のPAをやってる人たちが実は、担当してるラジオ局のミキサーさんチームだったわけ。
森:笑。いろいろまずい。
M:で、バレて、「あれ何やってるんですか、Mさん!」とか言われて。「いや、あの、ちょっと言われたからやってんだけど(笑)」みたいな。
森:(業界せまいから)もっと早くばれそうやのに。
M:あと、テレビのバイトの給料があがってきちゃったのね、やりすぎて(笑)。こりゃまずいなってぐらいの金額になってきちゃった。最初はね、数万円だったんだけど。最後のほうはもうほぼ(制作会社の)給料に匹敵するぐらいまでやっちゃったからね、言われるがままに。
で、「ああ、やっぱりテレビもおもしろいよな」って思ったし。「こりゃちょっとまずいよな」と思ってたけど、最終的にバレたってのがきっかけのひとつ。
森:バレた(笑)。
M:もうひとつはね、他のラジオ局でしゃべらせてもらう機会があったんだよね。当時、他のラジオ局のプロデューサーの人がね、兼アナウンサーなんだけど、
森:プロデューサー兼アナウンサー!
M:ラジオってそんなもんだよ。
森:へー。
M:その人が、4月から始める土曜日のワイド番組で、音楽コーナーを考えてたんだけど、コメンテーターの人が急遽「出られない」と言ってきたと。2週間前だよ、番組始まる。
森:笑。
M:「Mさん、こういうコンセプトでできない?」と。「世界中の変な音楽を紹介するっていうコーナーをやってもらえないか」と言われて。「そりゃやりたいんだけど、普段別のラジオ局で仕事やってるから、どうかなぁ…」っていう(笑)。その人とは旧知のなかだよ。同じ大阪の豊中出身の人で、テレビ局時代から知ってた飲み仲間だったから。「俺もぜひやりたいんだけど、ただ周りがどう言うかってのはあるんで、ちょっと一回聞いてみるわ」って。で、担当してるラジオ局に相談したら、やっぱNG出たよね。「ライバル局にお前が」って。当時から俺、放送にも出ちゃってたからね、ADで。
森:出てましたね(笑)。
M:「ダメ」って言われて。いちおう自分の制作会社の社長にも報告したの。「本当は俺としてはやりたいなって思うんですけど、こうこうこういう経緯があって、ちょっと(担当してるラジオ局の)あの人に怒られちゃったんで、そのことだけ報告しておきます」って。社長は「はあ?何言ってんだ!あいつ」って(笑)。
森:笑。
M:「だからラジオがダメになっちゃうんだよ!」って言ってくれたの。
森:へー!
M:で、その人を説き伏せたんだろうね。裏で何があったのか知らないけど、OKが出たの。担当してるラジオ局の(NGを出した)その人から。
森:いや、社長かっこいいですね。
M:(社長に報告した)3日後ぐらいに「Mさん、ちょっといい?あれね、うちOK出たんで」って(笑)。「えー!」ってなって。
森:すごーい!
M:でもそんときにね、ちょっと思ったんだ。「ああ、こりゃもうラジオの心の崩壊がはじまってるな」って。たしかにね、うちの社長の言うとおりで。「そういうことに文句を言うとかクレームをつけるとかいう問題じゃないだろ!」って。ラジオ全体でもう考えないと。
森:そもそも。
M:もう当時からリスナー減ってたからね。「(他局の放送に出る出ないのの)こういうやりとりもイヤな感じだな」って。で、バレたのもあったし、いちおう俺を応援してくれたその制作会社とは、契約という形に切り替えて会社をつくったの。「テレビもラジオも両方しますよ」と。「これでようやくちゃんと公にできますよね」と(笑)。「両方やります」って言ったんだけど、ラジオはもうなくなっちゃった(笑)。
森:笑。
M:だから、自分が会社つくるなんて思ってなかったよ。
森:でも、聞いてるとサクセスストーリーやなと思います。
M:いやいや、サクセスかどうかわかんないよ。今、成功してるかどうかなんてわかんないからね。
森:うーん。
M:このあと、破産宣告されるかもしれない(笑)。
森:笑。いや、でもそんだけ売れっ子ってことですからね、個人で。
M:…すごく恵まれてたのはあると思う。たぶんいろんな人から「やって」って、「お前手伝えないの?」とかって言われて、ほいほい行ってた自分が(笑)。普通だったら行かないんだろうね。
森:「仕事でこういうところは大事にしよう」っていうのはあったりするんですか。いっかんして。
M:「こういうのはやらない」ってのはあるよね。
森:ふーん!
M:福島の事故の前の話だけど、原発がらみの番組は二回目以降はやらなかった。あと、むちゃくちゃ金額がよかったやつ。これはね、100万円を提示されて3分間ただ山とか川とかを撮ってくれっていう仕事があって(笑)。
森:そんな仕事があるんですか!笑
M:「むちゃくちゃおいしいじゃん!」って。だってそんなん1日でできちゃう仕事なのに。3分間の映像。よくよく聞いたら、某新興宗教がスポンサーになる天気予報のバックで流れる映像。これはもう実態を知ったら「やっぱごめんなさい、それはちょっとない」って。いくらお金に困ってても、自分の信条にかぶらないとね。
森:逆にそこぐらいなんですか。
M:かなぁ…
森:こだわりポイントというか。
M:いや、これはやらないって意味ではもっといっぱいあるよ。あぶないものはやらないし、当然アダルトビデオもやらないし、そういうのはやらないけど。
俺、本当に飽きっぽいからいつも5年周期でやりたいことが変わるんだけど(笑)、
森:笑。うん…
M:今の会社もようやく5年目に入って、今まだひきつづきやってられるのは、企業もののVP(Video Package)をやるようになったから。昔は「企業VPってどうなの?そういうのとか?」って思ってたんだけど、今は逆にそれがすごいおもしろくって。
まあ、お金も当然入ってくるからありがたいっていうのもあるんだけど、それ以上に、放送局のディレクターとして番組をつくってると、いつも常に第三者。ところが企業VPってもっと中に深く入っていくでしょう?機密事項もけっこう扱うのよ。それこそ大きな会社の社長さんの社内向けの新年あいさつとかさ(笑)。「ああ、そうだったんだ」とかいろいろ知るのよ。放送局の記者よりも絶対知る…んだね、取材先の本当の姿を。
森:うん、意図とか理念とか、
M:とか、あるいは(会社の)状況だとか。「えー意外とみんな知らないんじゃない、こんなこと」って。「これだめよ、言っちゃ」って言われてるから言わないけど。だけど「そっか」と思って。一時期、ラジオやってたときに「お金が大事」と思った時期があって。自分の給料が減っていくって場面に直面したから。で、本気でなんでもない会社とかに転職しようとか思ってたの。メーカーとかに。
森:へー!意外!
M:30いくつぐらいかな? 登録したことがあるのよ、(転職サイトとか)そういうところに。だけど、やっぱりしっくりこなかったのね。
自分のなかで今になってようやくわかったんだけど、企業VPをつくってて「この会社に入りたいな、ここだったら働きたい!」って思う会社が本当に少ないの。で、「今、自分はすごいめぐまれた仕事をしてるな」と思って。関係ないのに関係してるっていう変な関係じゃん。別にそこの業績に貢献もしないんだけど、そこの会社の奥深くのとこまでは知っちゃってるぞと。
森:うん。
M:向こうもこちらを信頼してるからそこに入らせてくれるわけだよね。そういうほうが、たぶん放送局でジャーナリストをやるよりも真実がわかるというか、「そうか、この会社はこういう風に儲けてるんだよね」とか、あるいはそこで働いている人たちの気持ちとかもたまに出てきたりとか。
そういうのがすごいおもしろくなってきたってのはある。自分のポジションがより明確になってきた感じはすごいする。「俺は今こういうことをやんなきゃいけない」とか。
森:私がデザイナーをやりたいなって思ったのは、自分の知らない世界を知れるから。なので近いのかも。しかも、お客さんの情報発信の手伝いをするわけだから、ものごとの本質を見る、知れる。と、まだまだお話は続きそうですが、そろそろ時間なので今年のインタビューはこの辺で。
M:はい。
森:お付き合いいただき、ありがとうございました。
インタビューのなかのM少年やM青年は、同級生にもいそうな「それなりに《俺の世界》がある男子」でした(笑)。社会人として尊敬する相手の、考え方や働き方に影響を与えた人・モノの話を聞くのは、なかなか楽しい時間でした。ありがとうございました!
(ご本人は普段取材する側だからか、記事を読んでつまんない話だなという感想でしたが、私は今まで断片的に聞いていた話がつながっておもしろかったです)
インタビューのはずが途中なぜか私の人生・制作活動相談も要所要所でけっこうな時間挿まれ、それに対してあいかわらず、結論としては「自分がおもしろいと思うものをつくったらいいよ」とスパッと言ってくれる存在は、まだまだ迷い続けるアラサーにとって、やはりありがたいものです。
さあ、飽きっぽいMさんは企業VPにも飽き始めて次に行きそうな気もしますが、どうなっていくのでしょう。諸事情により2013年のインタビューは実施していませんが(申し訳ありません…)、ひきつづきよろしくお願いします!
《おまけの追記》
記事を書きながら、このインタビューをした2年前とは私自身もけっこう変わったなと思います。Mさんの制作者としてのとんとんなサクセスストーリーを、当時27歳の私はどこか嫉妬まじりに聞いていましたし(そして「おお、やっぱり彼も業界の人なのだな」と思った)、社会人として尊敬する彼と自分との共通点をどうにか見つけようと必死だったもようです。「知ることが好き」「飽きっぽい」「ゆるいけど打算的(←大変失礼発言!)」以外は、共通点があまりないという事実を30歳直前の今はすんなりと受け入れられます。実際、今の私のキャリアからすると、仕事の話で身をもって共感できるのは最後の企業VPのくだりぐらいです(笑)。
世間知らずな小娘は「私が見えていないものも見ていて、考えられないことを考えられて、おもしろいものを自然とつくり続けられる強い&すごい人」という勝手な憧れを長らくMさんに抱いていましたが、自分が社会に出て7年目ともなると、もちろん彼の能力の高さもあるけれど、それは経験に裏打ちされた部分も多く、悩みや葛藤がそれなりにある、という当たり前の事実もだんだんと見えてくるようになりました。時間が経つにつれ、妄想のような勝手な憧れが現実味を帯びた尊敬に変わってきたのは、よいことなのだと思います。
by moriko_2011
| 2014-07-22 00:42
| 08_社会人の先輩・Mさん
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