【社会人の先輩・Mさん 】【1年目】 仕事やこれまでのキャリアについてざっくばらんに聞いてみる(2/3)
森:最初に「Mさんのお父さんってお仕事何してはったんですか」って聞いたのは、最初にふれる社会人って親かなと思って。
M:うちの親はある意味特殊な人だよね。(航空管制官として)24時間体制で働いてて、当時は一番短いシフトだと4時間しか働かない。だからほとんど家にいる人なんだよね。
森:父親の仕事ぶりってそれによって「仕事ってこういうものなんや」って印象がつくというか、私自身はついたんですね。それはないですか。
M:俺はあんまりなかったね。(父親の仕事は)もうまったく別世界。
俺、男3人兄弟なの。父親は自分自身はパイロットになりたかったけど、背が低くてなれなかったのね。今は引退してセスナは乗ってるけど(笑)。だから(息子のうちの)誰かはパイロットになってほしかったの。
ところが誰も(パイロットには)ならなかった。それ用の教育もしてたのよ。俺なんか長男だから「目は絶対、視力を落としちゃだめだ!寝る前に必ず遠くを見なさい」って。それがよかったけどね。今も目がいいし、いまだにコンタクトだとかメガネを使わずに済んでるから。
森:目がいいの、うらやましい。
M:それとね、あと「英語を勉強しなさい」。で、俺、小6のときに短波ラジオって海外の放送が聴けるラジオを与えられたのね。ラジカセね。
森:へー。英語の勉強用にですか。
M:そう、「英語を勉強しなさい。FENを聴きなさい」って。FENって81.0で東京でやってるけど。あ、今AFN(American Forces Network)か。当時は短波でも聴けたんだよね、全国で。で、それをよく聴いてて。テニス部だったんだけど、雨だったり冬だったりで土曜日の部活が早く終わると、家帰ってラジオ聴くのが楽しくてしょうがなくて。「アメリカンTOP40」っていう番組を土曜日の午後ずっと、4時間やってたわけよ。英語じゃなくて俺、音楽に行っちゃったんだよね、(英語の勉強用に)与えられたラジオで(笑)。
森:あれ?って(笑)。
M:「あ、こんな楽しい世界があるんだ」って思って。だからずーっと音楽が好きで。名古屋のテレビ局に就職したんだけど、そこをあきらめられなくてラジオのFM局の制作会社に転職したの。
今、前いたテレビ局の野球中継の副音声で、野球とは全然関係なく2時間ひたすら音楽を流すってのをやってて。「ビートルズナイト」とかテーマを決めて。その選曲の仕事をやってるんだけど、そんなのも仕事になっちゃってるから、あのとき親父からもらったラジカセは非常に投資価値のある1台だった(笑)。
森:投資価値(笑)。
M:(ラジオを聴き始めた)当時ね、すばらしいアメリカ人の投資家がいて。
日本の放送局が少な過ぎるって嘆いて、サイパン島から短波放送で24時間ロックを流し続ける放送をはじめるっていう、バカなすばらしい投資家(笑)。KYOI(キョイ 参考:http://www.ne.jp/asahi/kyoi/radio/)っていうコールサインで、日本の代理店もついて、コマーシャルは英語と日本語のやつが流れたのね。時報CMは日本のセイコー。基本英語の放送なのに、CMだけ日本語だったりするのよ、たまに。コカコーラとか。
「すごい斬新な放送局だなぁ」と思ってよく聴いてたのね。24時間ロック流すだけの放送局だよ、しゃべりもほぼなしで。なんかね、トリのキャラクターがあって、手紙を出すとそれのステッカーとか送ってくれたよ。名前もわかんないんだけど。家にあるよ、実家帰ったら。24時間ロック流すだけって日本のラジオ放送とは概念がまったく違う。
森:KYOI(キョイ)って何のことですか?
M:コールサイン。無線局を識別するための符号で、電波を出している放送局には必ずそういうコールサインがあるの。日本で言うと、たとえばフジテレビはJOCX、大阪だと毎日放送はJOOR。昔は言ってたのね、「こちらは毎日放送です、JOOR」とか。
森:あの、一日の放送が終わるときとかに言ってはるやつ。
M:そう。アメリカ、太平洋地区の場合はKではじまるの。
森:(KYOIの参考サイトを見ながら)「どうして廃局した」
M:それたぶんWikipediaとかに載ってると思うんだけど、初日の放送で、セイコーの時報CMがずれてたんだよ、時間が(笑)。そういう放送事故、大事故が起きて。
森:ああ、書いてあります。「キョイは民放のラジオです。当然CMを流して収入を得ていました。しかし、時報装置の故障によって、開局した1982年末から時報が狂って送信してしまい、それに怒った服部セイコーが CMをうち切ってしまい、よって他のメーカーSONYなども下りて、ついには収入が全く無くなってしまいました。」笑。
M:そうそう(笑)。そうなんだよ。
森:え、じゃあけっこう短命だったんですか。
M:短命だったと思うよ、最終的にはニュース専門局になってたもん。
森:「1986年ころからは廃局してしまうので寄付して欲しいというアナウンスも流れましたが、」
M:ああ、言ってた言ってた!「1000円封筒で送ってくれ」って言ってて。で、1000円送るとTシャツ送ってくれるの。
森:え?それ…(ほぼ寄付にならなくない?)
M:当時としては販売だなぐらいに思ってたんだけど、それ寄付だったんだよね。
森:「思ったように好転しないまま、1988年あたり、一時「クリスチャンサイエンスモニター」という」
M:そうそうそう。
森:「宗教放送に吸収され、」
M:笑。クリスチャンってついてるけど別に宗教放送じゃないよ(笑)。アメリカで有名な新聞なんだよ、「クリスチャンサイエンスモニター」って。
森:へー。「「オールヒッツKYOI」と改めて、オールディーズも含めて時間限定で放送されていましたが、ついに1989年あたりに洋楽放送をうち切って、事実上キョイの廃局ということになりました。」
M:そうそう、廃局しちゃったんだよね。幻の放送局だよね。当時TOP10っていう番組が日本にあったけど、ここは当時からTOP100。6時間かけて100曲流すっていう(笑)。当時中学生だった俺にとっては「すごい、なんて斬新な放送局だろう!」って。
森:衝撃のスーパーロックKYOI。
M:いまでこそFMはZIP-FMとかあるけど、当時はFM愛知しかないでしょ、こっち(愛知)には。FM愛知は当時は、まあAMの音がいいやつぐらいの感じだったから。
森:へー。
M:KYOIはノンストップでずっと音楽を流してて。ただ、周波数が時間によって変わるのね。短波放送の技術的な問題だと思うんだけど。高校野球みたいに「この後は何チャンネルでお届けします」みたいなアナウンスが入るのよ。
森:で、チャンネルを合わせて。
M:そうそう、で、合わせるとまたきれいに音が入るっていう。番組はね、LAでつくってるのね。俺もサイパンって行ったことないけど、サイパンって意外と日本に近いじゃんね。そこに目をつけたその投資家ってのはなかなかのもんだなって。だから時報装置さえちゃんとしてれば、意外とうまくいってた可能性が(笑)。
KYOIの服部セイコーのCMは俺も覚えてるんだよね。ちょうど試験放送をやってたときにもらったんだよね短波ラジオを。すごく強力に入る電波だったの。すごい、もう地元の放送みたいにきれいに入るから、
森:聴いてみようって。
M:で、雑誌とか見てもその名前ないの。まだ開局してないからね。
KYOIっていうのは本当に個人がつくった放送局だからか、あんまり日本の雑誌とかにも取り上げられてなかったけど、「すごい、なんてかっこいい放送局があるんだ!」って。今のZIP-FMのスタイルそのままなんだよね。あれのしゃべりが少ないバージョン。ずーっと音楽流してる。ひたすら。
森:そういうのって、昔はなかったんですね。
M:うん、なかったなかった。日本であの手の放送局ができたのは、FMヨコハマが最初じゃないかな、1985年。それまでは、まあFENはあったけど、あそこもわりとしゃべりは多いからねえ。本当に音楽ばっかっていうのは、FMヨコハマが開局して、しばらく経ってJ-WAVEが開局して、じゃない?
名古屋も本当は免許がなかったの。当時のFM愛知はものすごく力のある放送局で、政治的に。絶対ライバル局は開局させないっていう方針だったんだけど、デザイン博(世界デザイン博覧会:名古屋市の市制100周年記念事業として1989年7月~11月開催)ってのがあってさ。そのときにCBCが臨時でイベントFMを開局させたの。当時のCBCの担当者がすごいおしゃれだったんだろうね。NYのFM局をそのままこっちに持ってこようって考えて、NYのFM局からBGMを入れるっていうスタイルで放送をやったのね。で、それがあまりに好評でFM愛知(の聴取率)を抜いちゃったの。イベントの放送局がだよ。
森:一時的な放送局やのに。
M:だから閉局するときに、みんなが辞めるなってCBCにすごい電話したり投函したりしてて、それをまあCBCも報告したんだろうね、当時の郵政省に。「できればもうちょっとやりたいんですけど」的なことを言ったんじゃない? 営業的にも成り立ってたと思う。数字取れてるし。だけど、今はOKなんだけど、当時の日本の法律では放送局はひとつの電波しか持てなかったから。だからたぶん「ZIP-FMっていうのに新たに免許を与えましょう」って。CBCの、当時そのイベント局はFM DEPOって言ってたんだけど、そのスタッフも何人かZIP-FMの社員として入ってたもん。
森:ふーん。
M:デザイン博って高校時代で、同級生とかも「あれ(FM DEPO)はかっこいい」とか言ってたよ。
森:Mさんは高校時代とかからそういう(ラジオ関係の)お仕事を考えてはったんですか。
M:いや、考えてなかった。
当時、FMヨコハマのヘリコプターが墜落する事故があったの。当時はやっぱバブルだよね、1時間の番組なんだけど、「ヘリコプターからDJやってます」っていう体の番組で。
森:バブリーな!
M:そう、バブリー。いろんなところを飛び回るから、当然、生中継なんて技術的にできない。でもそれはFMヨコハマにとってはかっこ悪い。たとえば「今、鎌倉上空を飛んでます」って言ってるのに、鎌倉でラジオを聴いてて「飛んでないじゃん」って思われるのがすごい嫌だったんだね。で、放送に合わせてFMヨコハマって書いたヘリコプターを飛ばしてたわけ。
森:わざわざ。へー。
M:それが墜落する事故があって。で、二人亡くなったわけよ。そのとき新聞にFM業界の大変さみたいなのがばーっと出て、それを見たときに「ああ、すっごい安い賃金で働いてるな」とかいうのを知って「こういうとこ行っちゃいけないな!」って思ってた(笑)。
森:えっ…(笑)
M:自分は(ラジオが)好きだからそういうところに行きたかったけど(笑)、そこの記事を読んで「ああ、こんな安い給料じゃできない…」って。当時、俺、名古屋空港でバイトしてたんだよね。高校生だけど、ちょっと働けば十数万円とか稼げてた。
森:え!どんだけバイトしてたんですか!
M:そうとうやってたよ(笑)。
森:高校生で十数万稼ぐとか、ちょっと…(学業とかは大丈夫なのかしら)
M:あ、夏休みとかだよ。航空博物館的な見学施設があって。そこのバイトをやってて。基本的にはチケットもぎり。暇でしょうがない仕事。友達に紹介されて行って。そういう風だったからさ、「(高校生のバイトの)俺とあんま給料変わんないじゃん、こりゃだめだ」と思って。
森:笑。
M:で、当時、天安門事件ってのが起きて。1989年、高3のときだったんだけどね。それのね、NHK特集がすごいよかったんだよね。アメリカのソールズベリーっていうAP通信の記者がたまたま、NHK特集の別の企画で北京に取材に行ってたの。
で、そのときに事件が起きちゃったの。ソールズベリーさんっていう人は中国の政府寄りの人で、NHKにとっても都合のいい人だったわけだよね、今から考えると。で、中国政府からも信頼されてる人だったからいろいろ内部まで取材できる人だったの。
ところがその事件が起きて、「これは政府が間違ってるよ」っていう風な番組になったわけだよね。で、けっきょくNHKで6時間の長編ドキュメンタリーになって。
森:へー。
M:もうおじいちゃんなんだよ、ソールズベリーさんはその当時80何歳とかで。もう今は亡くなっちゃったけど。「すごい、こんなかっこいい仕事があるんだなー」と思って、「ああ、新聞記者とかいいなー」って。憧れだよね。で、大学行ったら、たまたま友達が新聞社で働いてるっていうから、バイトで行って。整理部でバイトしてて、ところがね、あそこはね、訃報がいっぱい貼ってあるわけよ、社内の(笑)。
森:社内の!笑
M:みんな短命なんだよね、意外と(笑)。
森:それは記者の人?
M:ではなくて、記者の人も含めていろんな職種の人。複数貼られているわけよ。「そんなに亡くなるんだ」って。
森:ハードワーク?
M:俺から見ててもハードワークだなとは思ってたわけよ。
バイトの場合は時間が決まってるから。だいたい俺は夕方職場に行って、当時はメールとか無いからさ、自転車で市内の各記者クラブをまわって原稿とフィルムを回収して、戻ったら18時ぐらいで。社食でカレーライスを食べて19時ぐらいに職場に戻って、そっから朝刊の一番早いのが終了する時間までっていう契約で。終わりの時間は決まってないの。まあ、だいたい24時過ぎ。で、整理部に俺のゼミの先輩がいたんだよね、今でも交流があるんだけど。当時いろいろ飲みに連れて行ってくれたりして、話を聞いたりいろいろ知るうちに「大変だな、この仕事。俺には無理だ」って思って。
森:笑。
M:だってさ、親がさ、4時間しか働かないような日がある人だよ。24時間勤務だから残業っていう概念がないわけね、うちの親父なんかは。だから俺は「そんな長い時間働くの?そりゃ大変だ」って。今から考えたら本当なめた考え方だけど(笑)。で、けっきょく新聞社は受けずに「テレビ局のほうが楽しそうじゃん。わりと似てるし」って思ってテレビ局に行ったんだけど、「テレビのほうもこれ大変だぞ」って。
森:笑。
M:バイトの感覚だからさ(笑)。最初スポーツ部に配属されたんだけど、仕事はそれなりにおもしろくて。いろんな人に会えるしね。「やっぱりこういう仕事ってのはおもしろいな」って。ところが、総務部に異動になっちゃったわけよ、突然。スポーツに配属されてから2年後。これは本当に誰もが予想だにしなかったんだけど。あとで知ったんだけど、総務部が目をつけて内定してた学生が来なくなっちゃったの。辞退されちゃったの。だけど総務部としては人が、
森:ほしい。
M:当時ね、総務ってけっこう会社の基幹部門だから親会社が支配してたの。実はプロパーの社員がひとりもいなかったの。俺がはじめてだったわけよ、プロパーの社員。
ようやくプロパーの社員を育てようっていう機運になってたんだよね。「開局して何年も経って、そろそろ親会社も撤退する。親会社の影響をなるべく少なくして、ポジションを(プロパーの)社員に与えよう」みたいな感じになってたらしいの。で、そこに割り当てられていた内定者が辞退しちゃったもんだから、
森:じゃあどうするって。
M:親会社に説明がつかないわけ。親会社はもう(人が戻る)人事が出ちゃってるからね。総務の人事に穴が空いちゃうからって、穴埋めするのが俺になっちゃったの。
電撃移籍的な感じだったわけよ。だってスポーツ部長も知らなかったもん。
森:へー!
M:びっくりだよね。総務部って当時は「聖域」みたいなところがあったから。自分が行くなんて思ってもいなかったし。
異動の希望調査とかはいつもあって、俺としては「スポーツ部よりは事業部のほうがおもしろいな」と思ってて。当時は、事業が、イベントがものすごく元気のある放送局だったから、音楽が好きだったし「コンサートとかやりたいな」ってずっと思ってて。内定のときからそういう希望も出してたの。だけど、(異動になったのは)スタッフで総務でしょう。総務って何してるとこなのかもよくわかんないし、当時。「なんかこわいとこ」(笑)。
森:こわいとこ(笑)。でも、会社にとっては重要な。
M:いや、後から知ったんだよね。そんときはわかんないから。「なんかこわいとこ」ってずーっと思ってて。「人の人生決めるとこ」、ぐらいに思ってたから。そのテレビ局の総務は経理以外の業務全部なんだよ。人事だったり秘書だったり全部なんだよね、人数少ないから。
今んなったら助かったよね、会社つくるってなったら。
森:助かりそうですね、それは。
M:意外なところで役立つ。あのときは全然わかんなかったもん。「なんで俺、総務なんだろう」って。「こんだけモノつくりたいって言ってるのに」って。
まさかの総務部への電撃移籍、とてもサラリーマンっぽい話!と思ったところで、その3へとつづきます。
M:うちの親はある意味特殊な人だよね。(航空管制官として)24時間体制で働いてて、当時は一番短いシフトだと4時間しか働かない。だからほとんど家にいる人なんだよね。
森:父親の仕事ぶりってそれによって「仕事ってこういうものなんや」って印象がつくというか、私自身はついたんですね。それはないですか。
M:俺はあんまりなかったね。(父親の仕事は)もうまったく別世界。
俺、男3人兄弟なの。父親は自分自身はパイロットになりたかったけど、背が低くてなれなかったのね。今は引退してセスナは乗ってるけど(笑)。だから(息子のうちの)誰かはパイロットになってほしかったの。
ところが誰も(パイロットには)ならなかった。それ用の教育もしてたのよ。俺なんか長男だから「目は絶対、視力を落としちゃだめだ!寝る前に必ず遠くを見なさい」って。それがよかったけどね。今も目がいいし、いまだにコンタクトだとかメガネを使わずに済んでるから。
森:目がいいの、うらやましい。
M:それとね、あと「英語を勉強しなさい」。で、俺、小6のときに短波ラジオって海外の放送が聴けるラジオを与えられたのね。ラジカセね。
森:へー。英語の勉強用にですか。
M:そう、「英語を勉強しなさい。FENを聴きなさい」って。FENって81.0で東京でやってるけど。あ、今AFN(American Forces Network)か。当時は短波でも聴けたんだよね、全国で。で、それをよく聴いてて。テニス部だったんだけど、雨だったり冬だったりで土曜日の部活が早く終わると、家帰ってラジオ聴くのが楽しくてしょうがなくて。「アメリカンTOP40」っていう番組を土曜日の午後ずっと、4時間やってたわけよ。英語じゃなくて俺、音楽に行っちゃったんだよね、(英語の勉強用に)与えられたラジオで(笑)。
森:あれ?って(笑)。
M:「あ、こんな楽しい世界があるんだ」って思って。だからずーっと音楽が好きで。名古屋のテレビ局に就職したんだけど、そこをあきらめられなくてラジオのFM局の制作会社に転職したの。
今、前いたテレビ局の野球中継の副音声で、野球とは全然関係なく2時間ひたすら音楽を流すってのをやってて。「ビートルズナイト」とかテーマを決めて。その選曲の仕事をやってるんだけど、そんなのも仕事になっちゃってるから、あのとき親父からもらったラジカセは非常に投資価値のある1台だった(笑)。
森:投資価値(笑)。
M:(ラジオを聴き始めた)当時ね、すばらしいアメリカ人の投資家がいて。
日本の放送局が少な過ぎるって嘆いて、サイパン島から短波放送で24時間ロックを流し続ける放送をはじめるっていう、バカなすばらしい投資家(笑)。KYOI(キョイ 参考:http://www.ne.jp/asahi/kyoi/radio/)っていうコールサインで、日本の代理店もついて、コマーシャルは英語と日本語のやつが流れたのね。時報CMは日本のセイコー。基本英語の放送なのに、CMだけ日本語だったりするのよ、たまに。コカコーラとか。
「すごい斬新な放送局だなぁ」と思ってよく聴いてたのね。24時間ロック流すだけの放送局だよ、しゃべりもほぼなしで。なんかね、トリのキャラクターがあって、手紙を出すとそれのステッカーとか送ってくれたよ。名前もわかんないんだけど。家にあるよ、実家帰ったら。24時間ロック流すだけって日本のラジオ放送とは概念がまったく違う。
森:KYOI(キョイ)って何のことですか?
M:コールサイン。無線局を識別するための符号で、電波を出している放送局には必ずそういうコールサインがあるの。日本で言うと、たとえばフジテレビはJOCX、大阪だと毎日放送はJOOR。昔は言ってたのね、「こちらは毎日放送です、JOOR」とか。
森:あの、一日の放送が終わるときとかに言ってはるやつ。
M:そう。アメリカ、太平洋地区の場合はKではじまるの。
森:(KYOIの参考サイトを見ながら)「どうして廃局した」
M:それたぶんWikipediaとかに載ってると思うんだけど、初日の放送で、セイコーの時報CMがずれてたんだよ、時間が(笑)。そういう放送事故、大事故が起きて。
森:ああ、書いてあります。「キョイは民放のラジオです。当然CMを流して収入を得ていました。しかし、時報装置の故障によって、開局した1982年末から時報が狂って送信してしまい、それに怒った服部セイコーが CMをうち切ってしまい、よって他のメーカーSONYなども下りて、ついには収入が全く無くなってしまいました。」笑。
M:そうそう(笑)。そうなんだよ。
森:え、じゃあけっこう短命だったんですか。
M:短命だったと思うよ、最終的にはニュース専門局になってたもん。
森:「1986年ころからは廃局してしまうので寄付して欲しいというアナウンスも流れましたが、」
M:ああ、言ってた言ってた!「1000円封筒で送ってくれ」って言ってて。で、1000円送るとTシャツ送ってくれるの。
森:え?それ…(ほぼ寄付にならなくない?)
M:当時としては販売だなぐらいに思ってたんだけど、それ寄付だったんだよね。
森:「思ったように好転しないまま、1988年あたり、一時「クリスチャンサイエンスモニター」という」
M:そうそうそう。
森:「宗教放送に吸収され、」
M:笑。クリスチャンってついてるけど別に宗教放送じゃないよ(笑)。アメリカで有名な新聞なんだよ、「クリスチャンサイエンスモニター」って。
森:へー。「「オールヒッツKYOI」と改めて、オールディーズも含めて時間限定で放送されていましたが、ついに1989年あたりに洋楽放送をうち切って、事実上キョイの廃局ということになりました。」
M:そうそう、廃局しちゃったんだよね。幻の放送局だよね。当時TOP10っていう番組が日本にあったけど、ここは当時からTOP100。6時間かけて100曲流すっていう(笑)。当時中学生だった俺にとっては「すごい、なんて斬新な放送局だろう!」って。
森:衝撃のスーパーロックKYOI。
M:いまでこそFMはZIP-FMとかあるけど、当時はFM愛知しかないでしょ、こっち(愛知)には。FM愛知は当時は、まあAMの音がいいやつぐらいの感じだったから。
森:へー。
M:KYOIはノンストップでずっと音楽を流してて。ただ、周波数が時間によって変わるのね。短波放送の技術的な問題だと思うんだけど。高校野球みたいに「この後は何チャンネルでお届けします」みたいなアナウンスが入るのよ。
森:で、チャンネルを合わせて。
M:そうそう、で、合わせるとまたきれいに音が入るっていう。番組はね、LAでつくってるのね。俺もサイパンって行ったことないけど、サイパンって意外と日本に近いじゃんね。そこに目をつけたその投資家ってのはなかなかのもんだなって。だから時報装置さえちゃんとしてれば、意外とうまくいってた可能性が(笑)。
KYOIの服部セイコーのCMは俺も覚えてるんだよね。ちょうど試験放送をやってたときにもらったんだよね短波ラジオを。すごく強力に入る電波だったの。すごい、もう地元の放送みたいにきれいに入るから、
森:聴いてみようって。
M:で、雑誌とか見てもその名前ないの。まだ開局してないからね。
KYOIっていうのは本当に個人がつくった放送局だからか、あんまり日本の雑誌とかにも取り上げられてなかったけど、「すごい、なんてかっこいい放送局があるんだ!」って。今のZIP-FMのスタイルそのままなんだよね。あれのしゃべりが少ないバージョン。ずーっと音楽流してる。ひたすら。
森:そういうのって、昔はなかったんですね。
M:うん、なかったなかった。日本であの手の放送局ができたのは、FMヨコハマが最初じゃないかな、1985年。それまでは、まあFENはあったけど、あそこもわりとしゃべりは多いからねえ。本当に音楽ばっかっていうのは、FMヨコハマが開局して、しばらく経ってJ-WAVEが開局して、じゃない?
名古屋も本当は免許がなかったの。当時のFM愛知はものすごく力のある放送局で、政治的に。絶対ライバル局は開局させないっていう方針だったんだけど、デザイン博(世界デザイン博覧会:名古屋市の市制100周年記念事業として1989年7月~11月開催)ってのがあってさ。そのときにCBCが臨時でイベントFMを開局させたの。当時のCBCの担当者がすごいおしゃれだったんだろうね。NYのFM局をそのままこっちに持ってこようって考えて、NYのFM局からBGMを入れるっていうスタイルで放送をやったのね。で、それがあまりに好評でFM愛知(の聴取率)を抜いちゃったの。イベントの放送局がだよ。
森:一時的な放送局やのに。
M:だから閉局するときに、みんなが辞めるなってCBCにすごい電話したり投函したりしてて、それをまあCBCも報告したんだろうね、当時の郵政省に。「できればもうちょっとやりたいんですけど」的なことを言ったんじゃない? 営業的にも成り立ってたと思う。数字取れてるし。だけど、今はOKなんだけど、当時の日本の法律では放送局はひとつの電波しか持てなかったから。だからたぶん「ZIP-FMっていうのに新たに免許を与えましょう」って。CBCの、当時そのイベント局はFM DEPOって言ってたんだけど、そのスタッフも何人かZIP-FMの社員として入ってたもん。
森:ふーん。
M:デザイン博って高校時代で、同級生とかも「あれ(FM DEPO)はかっこいい」とか言ってたよ。
森:Mさんは高校時代とかからそういう(ラジオ関係の)お仕事を考えてはったんですか。
M:いや、考えてなかった。
当時、FMヨコハマのヘリコプターが墜落する事故があったの。当時はやっぱバブルだよね、1時間の番組なんだけど、「ヘリコプターからDJやってます」っていう体の番組で。
森:バブリーな!
M:そう、バブリー。いろんなところを飛び回るから、当然、生中継なんて技術的にできない。でもそれはFMヨコハマにとってはかっこ悪い。たとえば「今、鎌倉上空を飛んでます」って言ってるのに、鎌倉でラジオを聴いてて「飛んでないじゃん」って思われるのがすごい嫌だったんだね。で、放送に合わせてFMヨコハマって書いたヘリコプターを飛ばしてたわけ。
森:わざわざ。へー。
M:それが墜落する事故があって。で、二人亡くなったわけよ。そのとき新聞にFM業界の大変さみたいなのがばーっと出て、それを見たときに「ああ、すっごい安い賃金で働いてるな」とかいうのを知って「こういうとこ行っちゃいけないな!」って思ってた(笑)。
森:えっ…(笑)
M:自分は(ラジオが)好きだからそういうところに行きたかったけど(笑)、そこの記事を読んで「ああ、こんな安い給料じゃできない…」って。当時、俺、名古屋空港でバイトしてたんだよね。高校生だけど、ちょっと働けば十数万円とか稼げてた。
森:え!どんだけバイトしてたんですか!
M:そうとうやってたよ(笑)。
森:高校生で十数万稼ぐとか、ちょっと…(学業とかは大丈夫なのかしら)
M:あ、夏休みとかだよ。航空博物館的な見学施設があって。そこのバイトをやってて。基本的にはチケットもぎり。暇でしょうがない仕事。友達に紹介されて行って。そういう風だったからさ、「(高校生のバイトの)俺とあんま給料変わんないじゃん、こりゃだめだ」と思って。
森:笑。
M:で、当時、天安門事件ってのが起きて。1989年、高3のときだったんだけどね。それのね、NHK特集がすごいよかったんだよね。アメリカのソールズベリーっていうAP通信の記者がたまたま、NHK特集の別の企画で北京に取材に行ってたの。
で、そのときに事件が起きちゃったの。ソールズベリーさんっていう人は中国の政府寄りの人で、NHKにとっても都合のいい人だったわけだよね、今から考えると。で、中国政府からも信頼されてる人だったからいろいろ内部まで取材できる人だったの。
ところがその事件が起きて、「これは政府が間違ってるよ」っていう風な番組になったわけだよね。で、けっきょくNHKで6時間の長編ドキュメンタリーになって。
森:へー。
M:もうおじいちゃんなんだよ、ソールズベリーさんはその当時80何歳とかで。もう今は亡くなっちゃったけど。「すごい、こんなかっこいい仕事があるんだなー」と思って、「ああ、新聞記者とかいいなー」って。憧れだよね。で、大学行ったら、たまたま友達が新聞社で働いてるっていうから、バイトで行って。整理部でバイトしてて、ところがね、あそこはね、訃報がいっぱい貼ってあるわけよ、社内の(笑)。
森:社内の!笑
M:みんな短命なんだよね、意外と(笑)。
森:それは記者の人?
M:ではなくて、記者の人も含めていろんな職種の人。複数貼られているわけよ。「そんなに亡くなるんだ」って。
森:ハードワーク?
M:俺から見ててもハードワークだなとは思ってたわけよ。
バイトの場合は時間が決まってるから。だいたい俺は夕方職場に行って、当時はメールとか無いからさ、自転車で市内の各記者クラブをまわって原稿とフィルムを回収して、戻ったら18時ぐらいで。社食でカレーライスを食べて19時ぐらいに職場に戻って、そっから朝刊の一番早いのが終了する時間までっていう契約で。終わりの時間は決まってないの。まあ、だいたい24時過ぎ。で、整理部に俺のゼミの先輩がいたんだよね、今でも交流があるんだけど。当時いろいろ飲みに連れて行ってくれたりして、話を聞いたりいろいろ知るうちに「大変だな、この仕事。俺には無理だ」って思って。
森:笑。
M:だってさ、親がさ、4時間しか働かないような日がある人だよ。24時間勤務だから残業っていう概念がないわけね、うちの親父なんかは。だから俺は「そんな長い時間働くの?そりゃ大変だ」って。今から考えたら本当なめた考え方だけど(笑)。で、けっきょく新聞社は受けずに「テレビ局のほうが楽しそうじゃん。わりと似てるし」って思ってテレビ局に行ったんだけど、「テレビのほうもこれ大変だぞ」って。
森:笑。
M:バイトの感覚だからさ(笑)。最初スポーツ部に配属されたんだけど、仕事はそれなりにおもしろくて。いろんな人に会えるしね。「やっぱりこういう仕事ってのはおもしろいな」って。ところが、総務部に異動になっちゃったわけよ、突然。スポーツに配属されてから2年後。これは本当に誰もが予想だにしなかったんだけど。あとで知ったんだけど、総務部が目をつけて内定してた学生が来なくなっちゃったの。辞退されちゃったの。だけど総務部としては人が、
森:ほしい。
M:当時ね、総務ってけっこう会社の基幹部門だから親会社が支配してたの。実はプロパーの社員がひとりもいなかったの。俺がはじめてだったわけよ、プロパーの社員。
ようやくプロパーの社員を育てようっていう機運になってたんだよね。「開局して何年も経って、そろそろ親会社も撤退する。親会社の影響をなるべく少なくして、ポジションを(プロパーの)社員に与えよう」みたいな感じになってたらしいの。で、そこに割り当てられていた内定者が辞退しちゃったもんだから、
森:じゃあどうするって。
M:親会社に説明がつかないわけ。親会社はもう(人が戻る)人事が出ちゃってるからね。総務の人事に穴が空いちゃうからって、穴埋めするのが俺になっちゃったの。
電撃移籍的な感じだったわけよ。だってスポーツ部長も知らなかったもん。
森:へー!
M:びっくりだよね。総務部って当時は「聖域」みたいなところがあったから。自分が行くなんて思ってもいなかったし。
異動の希望調査とかはいつもあって、俺としては「スポーツ部よりは事業部のほうがおもしろいな」と思ってて。当時は、事業が、イベントがものすごく元気のある放送局だったから、音楽が好きだったし「コンサートとかやりたいな」ってずっと思ってて。内定のときからそういう希望も出してたの。だけど、(異動になったのは)スタッフで総務でしょう。総務って何してるとこなのかもよくわかんないし、当時。「なんかこわいとこ」(笑)。
森:こわいとこ(笑)。でも、会社にとっては重要な。
M:いや、後から知ったんだよね。そんときはわかんないから。「なんかこわいとこ」ってずーっと思ってて。「人の人生決めるとこ」、ぐらいに思ってたから。そのテレビ局の総務は経理以外の業務全部なんだよ。人事だったり秘書だったり全部なんだよね、人数少ないから。
今んなったら助かったよね、会社つくるってなったら。
森:助かりそうですね、それは。
M:意外なところで役立つ。あのときは全然わかんなかったもん。「なんで俺、総務なんだろう」って。「こんだけモノつくりたいって言ってるのに」って。
まさかの総務部への電撃移籍、とてもサラリーマンっぽい話!と思ったところで、その3へとつづきます。
by moriko_2011
| 2014-07-22 00:29
| 08_社会人の先輩・Mさん
カテゴリ
全体00_はじめに
01_幼なじみのモガちゃん
02_元上司のMさん
03_画家・ゆりちゃん
04_会社の先輩・Wさん
05_大学の友人・近ちゃん
06_コマドリスト・泰人さん
07_部活の友人・ナオミ
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