趣味の、長期ゆるゆるインタビュー企画です。 


by moriko_2011

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【社会人の先輩・松永さん 】【1年目】 仕事やこれまでのキャリアについてざっくばらんに聞いてみる(3/3)

森:「こういう風に働きたいな」って思ったきっかけとかはあるんですか。

マ:こういう風にっていうのは今の(働き方)?

森:刷り込みかもしれないですけど、私からしたら松永さんは、はじめて見た「楽しそうに働いている社会人」なんですよ。

マ:笑。それはね、俺が(自分の好きなものに対して)打算で生きてるからだと思う。

森:ふーん。

マ:行き当たりばったりなの。好きなものはやっぱゆずれないのよね。ある意味社会人に向いてないと思う、本当に。だってふつうで考えたら、放送局からその下請け会社に入るなんてことはありえないわけだよね。

森:ああ、まあそうですね。

マ:そこの局の下請け会社ではなかったにせよ、でも、仕組みとしては下請け会社に転職するわけだから。でもわかったわけだよね、放送局に入って。「あ、ここで働いてても自分のやりたいことはできないぞ」って。

森:うん。(←私の場合はリサーチ不足なだけかもしれませんが、そもそも制作希望で入ったはずの会社がほぼ外注でモノをつくっていて、できてもディレクションぐらいというのはめずらしくないことで、悩ましいところだと思います)

マ:で、給料はたしかによかったんだけど、今はね経営者だからお金が大事って思うけど、当時は「そんなにお金って大事なのかなー」とかって思ってて。今から考えたら高い給料だったし、そんときもね思ってたの。「こりゃもらい過ぎじゃないの?たいした仕事してないのに」って。なんかそれが気に食わなかったのもあんのかな。その辺はもしかしたらスーパーロックKYOIのせいかもしれないんだけど。ロックが好きだったから。

森:どういうことですか(笑)。

マ:お金がいっぱい貯まっていくことにある意味ちょっとこわさもあったのかもね。転職したのって29歳のときで。30代って(それまでとは)なんか違う感じがしてたし、「もしかしたら人生そこで終わりかも、いつ死ぬかわかんない」とか考えてた時期で。で、しかもね、20世紀から21世紀に変わるタイミングだったの。2000年なの、俺が29歳のときって。

森:へー!2000年問題とかがあった2000年。

マ:そう、Y2Kとか言ってたもん。で、なんかそういうのも手伝ったんだろうね。あとはね、キー局の研修とかに行く度に、がっかりすることが多かったの。
当時はBSを開局させる直前で。そのキー局ってさ、何が弱いって全国ネットって言っても6局しかないわけ。「うちは全国ネットですよ」って言っても6局しかない。主要都市でも仙台とか広島とかでかい都市なのにないわけ。静岡もないでしょ、けっこう大きな都市なのにないの。そういうのをたぶんすごくマイナスに、ネガティブに考えてた放送局だから「BSができたらすごいことになる」ってキー局の人たちは思ってたわけ。「うちの局もようやく全国フルネットの時代が来るんだ!」と。

森:めでたく。

マ:そういうふうでさ、当時キー局の若い社員とかと飲みに行ったりすると「地方局なんていらないよねー」って。地方(名古屋)から来てんだよ、俺!(笑)。その俺を目の前に「地方局なんてもういらない時代なんだよね」って(笑)。「衛星から流せばいっぱつで全国に届くわけだから、もうそれでいいんだよ」と。「たしかにな」と思ったよ。「たしかにそうだ」と思った。
本音ではキー局はみんなそうしたいと思ってると思うよ。地方局にネット保証料とか払ってるわけよ、今。ネットワークを組んでもらうためのお金。

森:そんなのいらないじゃんって。

マ:そのお金もいらなくなる。だって(衛星)いっぱつで済むからね。みんな今思ってると思うよ、こんだけデジタルテレビが普及したら。特にテレ朝(笑)。

森:笑。

マ:そういうのも聞いてたから、「ああ、そっか。いつかは(中継局としての地方局は無くなるかもな)、たしかにな」って。で、もうインターネット時代も始まってたし。そう言われりゃ自分のいる名古屋の放送局ってのはほとんどローカル番組もなくて、ローカル番組やっててもむなしいのね。視聴率も低いし。ほとんど東京の番組中継、まあ、中継局だよねほとんど。
それだったら…俺が気になってたのが、そばでやってたFMラジオ局。ローカルで24時間生で放送やってるっていう。東京の番組がいっさい流れないっていう。今は流れてるけど、諸事情で。

森:諸事情で(笑)。

マ:でも、当時は24時間編成だったんだよね。しかも全部、生でね。夜中の3時4時であれ。で、「どんな風にやってんのかな?」って。テレビの感覚からしたらありえないんで、

森:24時間、生放送。

マ:「どんな風にやってんだろう?」ってすごい興味があって、あとはそのスーパーロックKYOI体験だよね(笑)。「音楽専門局って楽しそう!」って。で、そこの番組をつくってる制作会社に転職したの。

森:ふーん。

マ:それは見事、的中して。本当楽しかったね、あの時代。うん。
だって音楽聴くのが仕事だからね、選曲するのが。で、レコード会社さんからはリリース前のCDをいっぱいもらえるわけよ。誰よりも早く聴けるわけね、新作が。で、「これは音楽ファンにとってはたまんない。なんて向いてる仕事に就いたんだろう」って思ったんだけど(笑)。
転職した制作会社はね、わりとね、報道が強いの。というのは、社長が元文化放送の人なんだよね。文化放送ってものすごい骨のある報道を昔からやってて、新聞で言えば東京新聞に近い感覚の放送局。で、そこ出身の人だから、ラジオ局で担当した番組も朝のわりとニュースが多い番組。あと、ジェームス・ヘイブンス(名古屋で有名なDJ)を見いだしたのもその人。東京から連れてきたの、ZIP-FMの開局のときに。

森:へー。

マ:俺ね、いまだに忘れられないのが、面接で社長に「きみ、どんな番組やりたいんだ?」って言われて。インターネットでよくアメリカの(ラジオ)放送聴いてたんだけど、アメリカのFM局でもモーニングショーってトーク番組があるわけよ。メインのDJが二人いて、あとは交通情報の人、天気予報の人、ニュース読む人って5人ぐらいがみんなばーってしゃべってる。ただひたすら世間話をして、「それでは、ニュースお願いします、○○さん」みたいな感じでふってニュース読んで、「交通情報はどうなってんの?」みたいな感じで、それ以外の時間はずーっとしゃべってる。で、「ああいうにぎやかな番組を日本でやりたいです」って言ったら「それはね、InterFMっていう放送局が東京でやってんだよ。もう収集つかないことになってたよ」って(笑)。

森:笑。

マ:InterFMではアメリカのFMに近いベースでやってたんだけど、本当に無駄話で終わっちゃう番組だったんだって。収集つかなくなっちゃってて。(社長が)「あれもやったけど、ちょっと…むしろ…っていうよりさ、名古屋にはジェームス・ヘイブンスっていう人間がいるだろ?」って。「ああ、知ってますよ」って。「彼が交通情報センターにいるっていう設定はどうだ!」とか言われて(笑)。
番組のメインのDJはおもしろくなくていいんだって。ただ、あの番組はなんか交通情報だけは面白いぞ、と。「みんなで交通情報を楽しみにその時間を待ってるっていう、そういう番組はどうだ!」とか(社長に)言われて、「ついていきます!」って。そんなこと考えないもん、当時の俺。

森:交通情報だけおもしろい(笑)。

マ:「情報センターのジェームスです!」って出てきて。「交通情報っていう堅くなきゃいけないところにあの人がいるっていう設定はどうだ?」って。その発想自体、俺できなかったからね、当時。徹底的に叩き込まれたよね、「普通の番組はやるな」と。もう「逆を行け、逆を行け」ってね。「とにかく誰もやってないものをつくれ」って。徹底的に叩き込まれた6年間だった。

森:そこはなんで辞めたんですか?

マ:もう、給料減りそうだったから(笑)。

森:…ふーん。(そんなもん?)

マ:っていうのはウソで、テレビ局を辞めたあともね、そこのテレビ局が人が足りないって言ってね、バイトで仕事やってたの。転職した制作会社には内緒で。で、ローカルの生番組とかよくやってたのね。

森:へー(笑)。

マ:ひとつはそれがきっかけで。あるとき…「どまつり」(にっぽんど真ん中祭り)ってあるでしょ?

森:うん、愛知で。

マ:あれのテレビの生中継の現場ディレクターをやってたの。そしたら現場のPAをやってる人たちが実は、担当してるラジオ局のミキサーさんチームだったわけ。

森:笑。いろいろまずい。

マ:で、バレて、「あれ何やってるんですか、松永さん!」とか言われて。「いや、あの、ちょっと言われたからやってんだけど(笑)」みたいな。

森:(業界せまいから)もっと早くばれそうやのに。

マ:あと、テレビのバイトの給料があがってきちゃったのね、やりすぎて(笑)。こりゃまずいなってぐらいの金額になってきちゃった。最初はね、数万円だったんだけど。最後のほうはもうほぼ(制作会社の)給料に匹敵するぐらいまでやっちゃったからね、言われるがままに。
で、「ああ、やっぱりテレビもおもしろいよな」って思ったし。「こりゃちょっとまずいよな」と思ってたけど、最終的にバレたってのがきっかけのひとつ。

森:バレた(笑)。

マ:もうひとつはね、他のラジオ局でしゃべらせてもらう機会があったんだよね。当時、他のラジオ局のプロデューサーの人がね、兼アナウンサーなんだけど、

森:プロデューサー兼アナウンサー!

マ:ラジオってそんなもんだよ。

森:へー。

マ:その人が、4月から始める土曜日のワイド番組で、音楽コーナーを考えてたんだけど、コメンテーターの人が急遽「出られない」と言ってきたと。2週間前だよ、番組始まる。

森:笑。

マ:「松永さん、こういうコンセプトでできない?」と。「世界中の変な音楽を紹介するっていうコーナーをやってもらえないか」と言われて。「そりゃやりたいんだけど、普段別のラジオ局で仕事やってるから、どうかなぁ…」っていう(笑)。その人とは旧知のなかだよ。同じ大阪の豊中出身の人で、テレビ局時代から知ってた飲み仲間だったから。「俺もぜひやりたいんだけど、ただ周りがどう言うかってのはあるんで、ちょっと一回聞いてみるわ」って。で、担当してるラジオ局に相談したら、やっぱNG出たよね。「ライバル局にお前が」って。当時から俺、放送にも出ちゃってたからね、ADで。

森:出てましたね(笑)。

マ:「ダメ」って言われて。いちおう自分の制作会社の社長にも報告したの。「本当は俺としてはやりたいなって思うんですけど、こうこうこういう経緯があって、ちょっと(担当してるラジオ局の)あの人に怒られちゃったんで、そのことだけ報告しておきます」って。社長は「はあ?何言ってんだ!あいつ」って(笑)。

森:笑。

マ:「だからラジオがダメになっちゃうんだよ!」って言ってくれたの。

森:へー!

マ:で、その人を説き伏せたんだろうね。裏で何があったのか知らないけど、OKが出たの。担当してるラジオ局の(NGを出した)その人から。

森:いや、社長かっこいいですね。

マ:(社長に報告した)3日後ぐらいに「松永さん、ちょっといい?あれね、うちOK出たんで」って(笑)。「えー!」ってなって。

森:すごーい!

マ:でもそんときにね、ちょっと思ったんだ。「ああ、こりゃもうラジオの心の崩壊がはじまってるな」って。たしかにね、うちの社長の言うとおりで。「そういうことに文句を言うとかクレームをつけるとかいう問題じゃないだろ!」って。ラジオ全体でもう考えないと。

森:そもそも。

マ:もう当時からリスナー減ってたからね。「(他局の放送に出る出ないのの)こういうやりとりもイヤな感じだな」って。で、バレたのもあったし、いちおう俺を応援してくれたその制作会社とは、契約という形に切り替えて会社をつくったの。「テレビもラジオも両方しますよ」と。「これでようやくちゃんと公にできますよね」と(笑)。「両方やります」って言ったんだけど、ラジオはもうなくなっちゃった(笑)。

森:笑。

マ:だから、自分が会社つくるなんて思ってなかったよ。

森:でも、聞いてるとサクセスストーリーやなと思います。

マ:いやいや、サクセスかどうかわかんないよ。今、成功してるかどうかなんてわかんないからね。

森:うーん。

マ:このあと、破産宣告されるかもしれない(笑)。

森:笑。いや、でもそんだけ売れっ子ってことですからね、個人で。

マ:…すごく恵まれてたのはあると思う。たぶんいろんな人から「やって」って、「お前手伝えないの?」とかって言われて、ほいほい行ってた自分が(笑)。普通だったら行かないんだろうね。

森:「仕事でこういうところは大事にしよう」っていうのはあったりするんですか。いっかんして。

マ:「こういうのはやらない」ってのはあるよね。

森:ふーん!

マ:福島の事故の前の話だけど、原発がらみの番組は二回目以降はやらなかった。あと、むちゃくちゃ金額がよかったやつ。これはね、100万円を提示されて3分間ただ山とか川とかを撮ってくれっていう仕事があって(笑)。

森:そんな仕事があるんですか!笑

マ:「むちゃくちゃおいしいじゃん!」って。だってそんなん1日でできちゃう仕事なのに。3分間の映像。よくよく聞いたら、某新興宗教がスポンサーになる天気予報のバックで流れる映像。これはもう実態を知ったら「やっぱごめんなさい、それはちょっとない」って。いくらお金に困ってても、自分の信条にかぶらないとね。

森:逆にそこぐらいなんですか。

マ:かなぁ…

森:こだわりポイントというか。

マ:いや、これはやらないって意味ではもっといっぱいあるよ。あぶないものはやらないし、当然アダルトビデオもやらないし、そういうのはやらないけど。
俺、本当に飽きっぽいからいつも5年周期でやりたいことが変わるんだけど(笑)、

森:笑。うん…

マ:今の会社もようやく5年目に入って、今まだひきつづきやってられるのは、企業もののVP(Video Package)をやるようになったから。昔は「企業VPってどうなの?そういうのとか?」って思ってたんだけど、今は逆にそれがすごいおもしろくって。
まあ、お金も当然入ってくるからありがたいっていうのもあるんだけど、それ以上に、放送局のディレクターとして番組をつくってると、いつも常に第三者。ところが企業VPってもっと中に深く入っていくでしょう?機密事項もけっこう扱うのよ。それこそ大きな会社の社長さんの社内向けの新年あいさつとかさ(笑)。「ああ、そうだったんだ」とかいろいろ知るのよ。放送局の記者よりも絶対知る…んだね、取材先の本当の姿を。

森:うん、意図とか理念とか、

マ:とか、あるいは(会社の)状況だとか。「えー意外とみんな知らないんじゃない、こんなこと」って。「これだめよ、言っちゃ」って言われてるから言わないけど。だけど「そっか」と思って。一時期、ラジオやってたときに「お金が大事」と思った時期があって。自分の給料が減っていくって場面に直面したから。で、本気でなんでもない会社とかに転職しようとか思ってたの。メーカーとかに。

森:へー!意外!

マ:30いくつぐらいかな? 登録したことがあるのよ、(転職サイトとか)そういうところに。だけど、やっぱりしっくりこなかったのね。
自分のなかで今になってようやくわかったんだけど、企業VPをつくってて「この会社に入りたいな、ここだったら働きたい!」って思う会社が本当に少ないの。で、「今、自分はすごいめぐまれた仕事をしてるな」と思って。関係ないのに関係してるっていう変な関係じゃん。別にそこの業績に貢献もしないんだけど、そこの会社の奥深くのとこまでは知っちゃってるぞと。

森:うん。

マ:向こうもこちらを信頼してるからそこに入らせてくれるわけだよね。そういうほうが、たぶん放送局でジャーナリストをやるよりも真実がわかるというか、「そうか、この会社はこういう風に儲けてるんだよね」とか、あるいはそこで働いている人たちの気持ちとかもたまに出てきたりとか。
そういうのがすごいおもしろくなってきたってのはある。自分のポジションがより明確になってきた感じはすごいする。「俺は今こういうことをやんなきゃいけない」とか。

森:私がデザイナーをやりたいなって思ったのは、自分の知らない世界を知れるから。なので近いのかも。しかも、お客さんの情報発信の手伝いをするわけだから、ものごとの本質を見る、知れる。と、まだまだお話は続きそうですが、そろそろ時間なので今年のインタビューはこの辺で。

マ:はい。

森:お付き合いいただき、ありがとうございました。


インタビューのなかの松永少年や松永青年は、同級生にもいそうな「それなりに《俺の世界》がある男子」でした(笑)。社会人として尊敬する相手の、考え方や働き方に影響を与えた人・モノの話を聞くのは、なかなか楽しい時間でした。ありがとうございました!
(ご本人は普段取材する側だからか、記事を読んでつまんない話だなという感想でしたが、私は今まで断片的に聞いていた話がつながっておもしろかったです)

インタビューのはずが途中なぜか私の人生・制作活動相談も要所要所でけっこうな時間挿まれ、それに対してあいかわらず、結論としては「自分がおもしろいと思うものをつくったらいいよ」とスパッと言ってくれる存在は、まだまだ迷い続けるアラサーにとって、やはりありがたいものです。

さあ、飽きっぽい松永さんは企業VPにも飽き始めて次に行きそうな気もしますが、どうなっていくのでしょう。諸事情により2013年のインタビューは実施していませんが(申し訳ありません…)、ひきつづきよろしくお願いします!

《おまけの追記》
記事を書きながら、このインタビューをした2年前とは私自身もけっこう変わったなと思います。松永さんの制作者としてのとんとんなサクセスストーリーを、当時27歳の私はどこか嫉妬まじりに聞いていましたし(そして「おお、やっぱり彼も業界の人なのだな」と思った)、社会人として尊敬する彼と自分との共通点をどうにか見つけようと必死だったもようです。「知ることが好き」「飽きっぽい」「ゆるいけど打算的(←松永さんに大変失礼発言!)」以外は、共通点があまりないという事実を30歳直前の今はすんなりと受け入れられます。実際、今の私のキャリアからすると、仕事の話で身をもって共感できるのは最後の企業VPのくだりぐらいです(笑)。

世間知らずな小娘は「私が見えていないものも見ていて、考えられないことを考えられて、おもしろいものを自然とつくり続けられる強い&すごい人」という勝手な憧れを長らく松永さんに抱いていましたが、自分が社会に出て7年目ともなると、もちろん彼の能力の高さもあるけれど、それは経験に裏打ちされた部分も多く、悩みや葛藤がそれなりにある、という当たり前の事実もだんだんと見えてくるようになりました。時間が経つにつれ、妄想のような勝手な憧れが現実味を帯びた尊敬に変わってきたのは、よいことなのだと思います。
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by moriko_2011 | 2014-07-22 00:42 | 08_社会人の先輩・松永さん

【社会人の先輩・松永さん 】【1年目】 仕事やこれまでのキャリアについてざっくばらんに聞いてみる(2/3)

森:最初に「松永さんのお父さんってお仕事何してはったんですか」って聞いたのは、最初にふれる社会人って親かなと思って。

マ:うちの親はある意味特殊な人だよね。(航空管制官として)24時間体制で働いてて、当時は一番短いシフトだと4時間しか働かない。だからほとんど家にいる人なんだよね。

森:父親の仕事ぶりってそれによって「仕事ってこういうものなんや」って印象がつくというか、私自身はついたんですね。それはないですか。

マ:俺はあんまりなかったね。(父親の仕事は)もうまったく別世界。
俺、男3人兄弟なの。父親は自分自身はパイロットになりたかったけど、背が低くてなれなかったのね。今は引退してセスナは乗ってるけど(笑)。だから(息子のうちの)誰かはパイロットになってほしかったの。
ところが誰も(パイロットには)ならなかった。それ用の教育もしてたのよ。俺なんか長男だから「目は絶対、視力を落としちゃだめだ!寝る前に必ず遠くを見なさい」って。それがよかったけどね。今も目がいいし、いまだにコンタクトだとかメガネを使わずに済んでるから。

森:目がいいの、うらやましい。

マ:それとね、あと「英語を勉強しなさい」。で、俺、小6のときに短波ラジオって海外の放送が聴けるラジオを与えられたのね。ラジカセね。

森:へー。英語の勉強用にですか。

マ:そう、「英語を勉強しなさい。FENを聴きなさい」って。FENって81.0で東京でやってるけど。あ、今AFN(American Forces Network)か。当時は短波でも聴けたんだよね、全国で。で、それをよく聴いてて。テニス部だったんだけど、雨だったり冬だったりで土曜日の部活が早く終わると、家帰ってラジオ聴くのが楽しくてしょうがなくて。「アメリカンTOP40」っていう番組を土曜日の午後ずっと、4時間やってたわけよ。英語じゃなくて俺、音楽に行っちゃったんだよね、(英語の勉強用に)与えられたラジオで(笑)。

森:あれ?って(笑)。

マ:「あ、こんな楽しい世界があるんだ」って思って。だからずーっと音楽が好きで。名古屋のテレビ局に就職したんだけど、そこをあきらめられなくてラジオのFM局の制作会社に転職したの。
今、前いたテレビ局の野球中継の副音声で、野球とは全然関係なく2時間ひたすら音楽を流すってのをやってて。「ビートルズナイト」とかテーマを決めて。その選曲の仕事をやってるんだけど、そんなのも仕事になっちゃってるから、あのとき親父からもらったラジカセは非常に投資価値のある1台だった(笑)。

森:投資価値(笑)。

マ:(ラジオを聴き始めた)当時ね、すばらしいアメリカ人の投資家がいて。
日本の放送局が少な過ぎるって嘆いて、サイパン島から短波放送で24時間ロックを流し続ける放送をはじめるっていう、バカなすばらしい投資家(笑)。KYOI(キョイ 参考:http://www.ne.jp/asahi/kyoi/radio/)っていうコールサインで、日本の代理店もついて、コマーシャルは英語と日本語のやつが流れたのね。時報CMは日本のセイコー。基本英語の放送なのに、CMだけ日本語だったりするのよ、たまに。コカコーラとか。
「すごい斬新な放送局だなぁ」と思ってよく聴いてたのね。24時間ロック流すだけの放送局だよ、しゃべりもほぼなしで。なんかね、トリのキャラクターがあって、手紙を出すとそれのステッカーとか送ってくれたよ。名前もわかんないんだけど。家にあるよ、実家帰ったら。24時間ロック流すだけって日本のラジオ放送とは概念がまったく違う。

森:KYOI(キョイ)って何のことですか?

マ:コールサイン。無線局を識別するための符号で、電波を出している放送局には必ずそういうコールサインがあるの。日本で言うと、たとえばフジテレビはJOCX、大阪だと毎日放送はJOOR。昔は言ってたのね、「こちらは毎日放送です、JOOR」とか。

森:あの、一日の放送が終わるときとかに言ってはるやつ。

マ:そう。アメリカ、太平洋地区の場合はKではじまるの。

森:(KYOIの参考サイトを見ながら)「どうして廃局した」

マ:それたぶんWikipediaとかに載ってると思うんだけど、初日の放送で、セイコーの時報CMがずれてたんだよ、時間が(笑)。そういう放送事故、大事故が起きて。

森:ああ、書いてあります。「キョイは民放のラジオです。当然CMを流して収入を得ていました。しかし、時報装置の故障によって、開局した1982年末から時報が狂って送信してしまい、それに怒った服部セイコーが CMをうち切ってしまい、よって他のメーカーSONYなども下りて、ついには収入が全く無くなってしまいました。」笑。

マ:そうそう(笑)。そうなんだよ。

森:え、じゃあけっこう短命だったんですか。

マ:短命だったと思うよ、最終的にはニュース専門局になってたもん。

森:「1986年ころからは廃局してしまうので寄付して欲しいというアナウンスも流れましたが、」

マ:ああ、言ってた言ってた!「1000円封筒で送ってくれ」って言ってて。で、1000円送るとTシャツ送ってくれるの。

森:え?それ…(ほぼ寄付にならなくない?)

マ:当時としては販売だなぐらいに思ってたんだけど、それ寄付だったんだよね。

森:「思ったように好転しないまま、1988年あたり、一時「クリスチャンサイエンスモニター」という」

マ:そうそうそう。

森:「宗教放送に吸収され、」

マ:笑。クリスチャンってついてるけど別に宗教放送じゃないよ(笑)。アメリカで有名な新聞なんだよ、「クリスチャンサイエンスモニター」って。

森:へー。「「オールヒッツKYOI」と改めて、オールディーズも含めて時間限定で放送されていましたが、ついに1989年あたりに洋楽放送をうち切って、事実上キョイの廃局ということになりました。」

マ:そうそう、廃局しちゃったんだよね。幻の放送局だよね。当時TOP10っていう番組が日本にあったけど、ここは当時からTOP100。6時間かけて100曲流すっていう(笑)。当時中学生だった俺にとっては「すごい、なんて斬新な放送局だろう!」って。

森:衝撃のスーパーロックKYOI。

マ:いまでこそFMはZIP-FMとかあるけど、当時はFM愛知しかないでしょ、こっち(愛知)には。FM愛知は当時は、まあAMの音がいいやつぐらいの感じだったから。

森:へー。

マ:KYOIはノンストップでずっと音楽を流してて。ただ、周波数が時間によって変わるのね。短波放送の技術的な問題だと思うんだけど。高校野球みたいに「この後は何チャンネルでお届けします」みたいなアナウンスが入るのよ。

森:で、チャンネルを合わせて。

マ:そうそう、で、合わせるとまたきれいに音が入るっていう。番組はね、LAでつくってるのね。俺もサイパンって行ったことないけど、サイパンって意外と日本に近いじゃんね。そこに目をつけたその投資家ってのはなかなかのもんだなって。だから時報装置さえちゃんとしてれば、意外とうまくいってた可能性が(笑)。
KYOIの服部セイコーのCMは俺も覚えてるんだよね。ちょうど試験放送をやってたときにもらったんだよね短波ラジオを。すごく強力に入る電波だったの。すごい、もう地元の放送みたいにきれいに入るから、

森:聴いてみようって。

マ:で、雑誌とか見てもその名前ないの。まだ開局してないからね。
KYOIっていうのは本当に個人がつくった放送局だからか、あんまり日本の雑誌とかにも取り上げられてなかったけど、「すごい、なんてかっこいい放送局があるんだ!」って。今のZIP-FMのスタイルそのままなんだよね。あれのしゃべりが少ないバージョン。ずーっと音楽流してる。ひたすら。

森:そういうのって、昔はなかったんですね。

マ:うん、なかったなかった。日本であの手の放送局ができたのは、FMヨコハマが最初じゃないかな、1985年。それまでは、まあFENはあったけど、あそこもわりとしゃべりは多いからねえ。本当に音楽ばっかっていうのは、FMヨコハマが開局して、しばらく経ってJ-WAVEが開局して、じゃない?
名古屋も本当は免許がなかったの。当時のFM愛知はものすごく力のある放送局で、政治的に。絶対ライバル局は開局させないっていう方針だったんだけど、デザイン博(世界デザイン博覧会:名古屋市の市制100周年記念事業として1989年7月~11月開催)ってのがあってさ。そのときにCBCが臨時でイベントFMを開局させたの。当時のCBCの担当者がすごいおしゃれだったんだろうね。NYのFM局をそのままこっちに持ってこようって考えて、NYのFM局からBGMを入れるっていうスタイルで放送をやったのね。で、それがあまりに好評でFM愛知(の聴取率)を抜いちゃったの。イベントの放送局がだよ。

森:一時的な放送局やのに。

マ:だから閉局するときに、みんなが辞めるなってCBCにすごい電話したり投函したりしてて、それをまあCBCも報告したんだろうね、当時の郵政省に。「できればもうちょっとやりたいんですけど」的なことを言ったんじゃない? 営業的にも成り立ってたと思う。数字取れてるし。だけど、今はOKなんだけど、当時の日本の法律では放送局はひとつの電波しか持てなかったから。だからたぶん「ZIP-FMっていうのに新たに免許を与えましょう」って。CBCの、当時そのイベント局はFM DEPOって言ってたんだけど、そのスタッフも何人かZIP-FMの社員として入ってたもん。

森:ふーん。

マ:デザイン博って高校時代で、同級生とかも「あれ(FM DEPO)はかっこいい」とか言ってたよ。

森:松永さんは高校時代とかからそういう(ラジオ関係の)お仕事を考えてはったんですか。

マ:いや、考えてなかった。
当時、FMヨコハマのヘリコプターが墜落する事故があったの。当時はやっぱバブルだよね、1時間の番組なんだけど、「ヘリコプターからDJやってます」っていう体の番組で。

森:バブリーな!

マ:そう、バブリー。いろんなところを飛び回るから、当然、生中継なんて技術的にできない。でもそれはFMヨコハマにとってはかっこ悪い。たとえば「今、鎌倉上空を飛んでます」って言ってるのに、鎌倉でラジオを聴いてて「飛んでないじゃん」って思われるのがすごい嫌だったんだね。で、放送に合わせてFMヨコハマって書いたヘリコプターを飛ばしてたわけ。

森:わざわざ。へー。

マ:それが墜落する事故があって。で、二人亡くなったわけよ。そのとき新聞にFM業界の大変さみたいなのがばーっと出て、それを見たときに「ああ、すっごい安い賃金で働いてるな」とかいうのを知って「こういうとこ行っちゃいけないな!」って思ってた(笑)。

森:えっ…(笑)

マ:自分は(ラジオが)好きだからそういうところに行きたかったけど(笑)、そこの記事を読んで「ああ、こんな安い給料じゃできない…」って。当時、俺、名古屋空港でバイトしてたんだよね。高校生だけど、ちょっと働けば十数万円とか稼げてた。

森:え!どんだけバイトしてたんですか!

マ:そうとうやってたよ(笑)。

森:高校生で十数万稼ぐとか、ちょっと…(学業とかは大丈夫なのかしら)

マ:あ、夏休みとかだよ。航空博物館的な見学施設があって。そこのバイトをやってて。基本的にはチケットもぎり。暇でしょうがない仕事。友達に紹介されて行って。そういう風だったからさ、「(高校生のバイトの)俺とあんま給料変わんないじゃん、こりゃだめだ」と思って。

森:笑。

マ:で、当時、天安門事件ってのが起きて。1989年、高3のときだったんだけどね。それのね、NHK特集がすごいよかったんだよね。アメリカのソールズベリーっていうAP通信の記者がたまたま、NHK特集の別の企画で北京に取材に行ってたの。
で、そのときに事件が起きちゃったの。ソールズベリーさんっていう人は中国の政府寄りの人で、NHKにとっても都合のいい人だったわけだよね、今から考えると。で、中国政府からも信頼されてる人だったからいろいろ内部まで取材できる人だったの。
ところがその事件が起きて、「これは政府が間違ってるよ」っていう風な番組になったわけだよね。で、けっきょくNHKで6時間の長編ドキュメンタリーになって。

森:へー。

マ:もうおじいちゃんなんだよ、ソールズベリーさんはその当時80何歳とかで。もう今は亡くなっちゃったけど。「すごい、こんなかっこいい仕事があるんだなー」と思って、「ああ、新聞記者とかいいなー」って。憧れだよね。で、大学行ったら、たまたま友達が新聞社で働いてるっていうから、バイトで行って。整理部でバイトしてて、ところがね、あそこはね、訃報がいっぱい貼ってあるわけよ、社内の(笑)。

森:社内の!笑

マ:みんな短命なんだよね、意外と(笑)。

森:それは記者の人?

マ:ではなくて、記者の人も含めていろんな職種の人。複数貼られているわけよ。「そんなに亡くなるんだ」って。

森:ハードワーク?

マ:俺から見ててもハードワークだなとは思ってたわけよ。
バイトの場合は時間が決まってるから。だいたい俺は夕方職場に行って、当時はメールとか無いからさ、自転車で市内の各記者クラブをまわって原稿とフィルムを回収して、戻ったら18時ぐらいで。社食でカレーライスを食べて19時ぐらいに職場に戻って、そっから朝刊の一番早いのが終了する時間までっていう契約で。終わりの時間は決まってないの。まあ、だいたい24時過ぎ。で、整理部に俺のゼミの先輩がいたんだよね、今でも交流があるんだけど。当時いろいろ飲みに連れて行ってくれたりして、話を聞いたりいろいろ知るうちに「大変だな、この仕事。俺には無理だ」って思って。

森:笑。

マ:だってさ、親がさ、4時間しか働かないような日がある人だよ。24時間勤務だから残業っていう概念がないわけね、うちの親父なんかは。だから俺は「そんな長い時間働くの?そりゃ大変だ」って。今から考えたら本当なめた考え方だけど(笑)。で、けっきょく新聞社は受けずに「テレビ局のほうが楽しそうじゃん。わりと似てるし」って思ってテレビ局に行ったんだけど、「テレビのほうもこれ大変だぞ」って。

森:笑。

マ:バイトの感覚だからさ(笑)。最初スポーツ部に配属されたんだけど、仕事はそれなりにおもしろくて。いろんな人に会えるしね。「やっぱりこういう仕事ってのはおもしろいな」って。ところが、総務部に異動になっちゃったわけよ、突然。スポーツに配属されてから2年後。これは本当に誰もが予想だにしなかったんだけど。あとで知ったんだけど、総務部が目をつけて内定してた学生が来なくなっちゃったの。辞退されちゃったの。だけど総務部としては人が、

森:ほしい。

マ:当時ね、総務ってけっこう会社の基幹部門だから親会社が支配してたの。実はプロパーの社員がひとりもいなかったの。俺がはじめてだったわけよ、プロパーの社員。
ようやくプロパーの社員を育てようっていう機運になってたんだよね。「開局して何年も経って、そろそろ親会社も撤退する。親会社の影響をなるべく少なくして、ポジションを(プロパーの)社員に与えよう」みたいな感じになってたらしいの。で、そこに割り当てられていた内定者が辞退しちゃったもんだから、

森:じゃあどうするって。

マ:親会社に説明がつかないわけ。親会社はもう(人が戻る)人事が出ちゃってるからね。総務の人事に穴が空いちゃうからって、穴埋めするのが俺になっちゃったの。
電撃移籍的な感じだったわけよ。だってスポーツ部長も知らなかったもん。

森:へー!

マ:びっくりだよね。総務部って当時は「聖域」みたいなところがあったから。自分が行くなんて思ってもいなかったし。
異動の希望調査とかはいつもあって、俺としては「スポーツ部よりは事業部のほうがおもしろいな」と思ってて。当時は、事業が、イベントがものすごく元気のある放送局だったから、音楽が好きだったし「コンサートとかやりたいな」ってずっと思ってて。内定のときからそういう希望も出してたの。だけど、(異動になったのは)スタッフで総務でしょう。総務って何してるとこなのかもよくわかんないし、当時。「なんかこわいとこ」(笑)。

森:こわいとこ(笑)。でも、会社にとっては重要な。

マ:いや、後から知ったんだよね。そんときはわかんないから。「なんかこわいとこ」ってずーっと思ってて。「人の人生決めるとこ」、ぐらいに思ってたから。そのテレビ局の総務は経理以外の業務全部なんだよ。人事だったり秘書だったり全部なんだよね、人数少ないから。
今んなったら助かったよね、会社つくるってなったら。

森:助かりそうですね、それは。

マ:意外なところで役立つ。あのときは全然わかんなかったもん。「なんで俺、総務なんだろう」って。「こんだけモノつくりたいって言ってるのに」って。

まさかの総務部への電撃移籍、とてもサラリーマンっぽい話!と思ったところで、その3へとつづきます。
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by moriko_2011 | 2014-07-22 00:29 | 08_社会人の先輩・松永さん

【社会人の先輩・松永さん 】【1年目】 仕事やこれまでのキャリアについてざっくばらんに聞いてみる(1/3)

人生の転機に知り合ったなぁと思う人がいます。名古屋のテレビ局に勤務後、ラジオ番組の制作会社に転職し、今は独立して名古屋で映像関係の制作会社をやっている松永さんです。番組・映像制作だけでなく、Kindleで本を出版したり、名古屋周辺の地域情報のポータルメディア「とこブク」を運営したり、日本マウスパッド投げ連盟の事務局長だったりします。

知り合った当時の私は19歳。浪人生の終わり、大学に入学する直前で、自分で決めた突然の進路変更にまだ少し自分でもびっくりしていた時期に、ラジオ番組がきっかけで出会いました(記事を書いている今は29歳!ちなみにこのインタビューをしたのは2012年の7月なので、そのときは27歳。書き起こすまでにずいぶんと寝かしてしまいました!)。
前回のナオミのインタビューでも書きましたが、当時、私の「仕事」の視野は大変大変せまかったので、颯爽とタキシードで現れた松永さんを見て「え!仕事なのになんかすごい楽しそうなんですけど!なんだこの人」と、衝撃だったのを覚えています。学生時代にも作品を見てもらったり、就活の相談に乗ってもらったり、ヒポポタマスに仕事を依頼してもらったり、会社の仕事のもやもやの相談に乗ってもらったり、この人に出会っていなかったら、私は今、もしかしたら制作を続けていないかもしれません。

私から見た印象は「青写真を描くのがうまい(特に変なことの)」「興味の向くままに行動」「人たらし」という感じでしょうか。いつもに増してインタビュー内容が散漫になってしまったのですが、名古屋の丸の内のイタリア料理店で、ぱりぱりに揚げたエビとかを食べながらお話を伺いました。
※前述のとおり、インタビューをしたのは2012年の7月です。に、2年前…。


森:松永さんのお父さんってお仕事何してはったんですか。

松永さん(以下、マ):航空管制官。

森:へー!

マ:もう引退してて。今、なんかね、シルバー人材センターで植木の整備というか草むしったりとか木の剪定したりとか、そういう仕事やってる。植木職人が夢だったらしい。

森:航空管制官は夢じゃなかったんですか(笑)。

マ:それも夢なんだけど、年とともに変わってきたんじゃないの、たぶん。

森:セカンドライフの夢。

マ:なりたくてしかたなかったんだって。

森:ふーん。(お父さんは)庭とか好きなんですか。

マ:庭いじり大好き。植物も大好きだからね。2月に親連れてバリにいったんだけどさ、もう花とか木ばっか見てるもんね。めずらしいから。

森:全然違いますもんね、日本とは。

マ:日本帰ってきてからいろいろ調べて、「ああ、あれはこれだったんだ」とかいろいろ発見があったらしい。で、「もう一回行きたい」って言うから来月連れていく(笑)。

森:いいですね。

マ:今度は大阪から(出発)なんだよね。もう名古屋便が無くなっちゃったから。

森:ああ。

マ:2月に行ったときは(3月で)名古屋便がなくなるからって、航空会社の人もわりと安く提案してくれたから「あ、じゃあ親を連れていこう」と思って。

森:ふーん。

マ:海外旅行なんか行く二人じゃないのよ、全然。おかんなんてパスポートも持ってなかったもんね。

森:(ご両親は)旅行自体はけっこうされるんですか?

マ:旅行は好きなんだけどね。母親はなんか「身体の調子があんまよくない」って言って、近所のスーパー行くのもおっくうになってたぐらい。で、すごい心配してたのね、うちの親父が。「飛行機に乗って旅行なんて絶対無理だと思うよ」って。だけど連れてったらすごい元気になっちゃった(笑)。

森:笑。

マ:やっぱお年寄りって温かいところに行ったら元気になるね。本当に身体の調子がよくなるらしいよ。今回は夏だからあんまわかんないかもしんないけど、冬はだいぶ違うみたい。むちゃくちゃ歩いてたもん(笑)。まさか半年後にまた行くとは思わなかった。


このあと、転勤後、営業に転向したばかりの私の近況報告の流れから、なぜか見積もりについての相談(?)がはじまりましたが、メンターとの面談のようなくだりは割愛します。


森:映像制作は見積もりが難しそうですよね。

マ:うん。本当むずかしい。だから結局、制作が営業兼ねるのが一番いいんだよね。感覚でわかるから。お、この会社は修正が多そうだ、とか。

森:ああ。

マ:この担当者は、

森:めんどうくさそうだ、とか。

マ:そういうときは思いっきり(金額を)乗せられるだけ乗せちゃうからね(笑)。
撮影とか編集なんて、それこそ時間はだいたい読めるし。あとは、企画を考えるのにどんだけ時間かけるのかっていうところと、お客さんとのやりとりにどのくらい時間がかかるのかとかかなぁ。

森:うん。

マ:放送局だけと仕事してる分にはそんな見積もりを出すことはないんだけど。放送局はもう総額を示してくれる。この金額でできる範囲でって。この予算で何ができるか提案してっていうやり方だから。

森:ずっと謎なんですけど、放送局ってそういうときにどこまで指示というか枠、こういうのをやってっていう条件をくれるもんなんですか。

マ:それも番組によるよね。たとえばスポンサーがついてたら、ある程度スポンサーの言いなりになるもんね。スポンサーも関係なくやっていいよっていう番組だったら本当にフリーだよね。

森:ふーん。

マ:(フリーの番組の場合は)まったく方向性さえ示されずに、ジャンルだけだよね。「音楽番組」とか「スポーツ番組」とか。

森:プロデューサーはテレビ局の人なんですか。

マ:そうそう。でも、プロデューサーっていうのは基本的には予算管理しかしないから。あとはまあ細々した権利関係とかね、本当に調整役。なかには番組の中身についていろいろこだわる人もいるけど、今はあんまりそういう人いないかな。昔はそうだったけど。
今、放送局も完全にサラリーマン化してるんで、だからもう分かんないんだよね、彼らも。どうやってつくるのかとか。

森:それって制作会社に制作をほぼ投げているから?

マ:そうそう。

森:昔はそうじゃなかったんですよね。

マ:じゃなかったと思うよ。うん、自分たちでつくってた。俺がいたときも半数ぐらいは社員でつくってたよ。外注で(社内に)常駐してる人もいたけど、でも半分以下かな。ほぼ内製化してたんだけど。今はもうほぼ外注だよね。テレビ局もそこまで設備投資する余裕もないしね。

森:ますます制作ノウハウのストックがなくなっちゃいそうですね。

マ:放送局にもよるし、番組にもよるんだけど、報道はわりと社員がやってるよね。ニュースは。
報道はなんで社員でやんなきゃいけないかっていうと、本当のジャーナリストはダメなの。たとえば、原発の問題とかでも本当のジャーナリストとかはものすごく批判的なことを言うでしょ。それは困っちゃうんだよね、放送局にとっては。

森:はー、そうか。放送局的にこれは言っちゃだめ、これは言って大丈夫ってのを判断しなきゃいけないから。

マ:今はどうかわかんないけど、すごい金額だからね、(スポンサーとしての)電力会社からのお金。でも、まあ、そういう広告のシステム自体が今は成り立たなくなってきてるというか、おかしくなっちゃってるよね。

森:「広告」というシステムを考えた人はすごいなと思います。ああいう仕組みでお金をとろうって。

マ:あのね、でも逆なんだよね。実は広告ありきで(放送を)やってて。広告とは当時思ってない。ウルフマン・ジャックってもう亡くなっちゃったんだけど。昔、伝説のDJみたいな人がいて。

森:ほう。

マ:興味があれば貸してあげるけど、その人の自伝があってね。これ本当おもしろいんだよね。昔、どんだけラジオがあやしいものだったかってやってて。

森:ふーん!

マ:アメリカで1920年代にラジオ局が開局し始める。当時はなんにも規制がなかった。やりたい人が(放送)できる!送信機を買えた人ができる。
だけど、(ラジオは)一大産業になったわけだよね、やっぱ。都市部に住んでる人はまだいいけどアメリカなんて広いからさ、田舎に住んでる人もすごく多い。そういう人たちは娯楽がないからさ、ラジオは彼らにとって最高の娯楽だったわけだよね。

森:うん。

マ:で、やっぱり経営者は考えるからさ。最初に何をやってたかっていうと、別に音楽をかけるとかいい情報を流すとかニュースを流すとかじゃないんだよね。モノを売るための手段でしかなかったわけ、ラジオって。

森:広告ありきなんですか。

マ:というより広告からはじまってんの、アメリカのラジオは。日本は違うんだけど。
少なくともアメリカのラジオは、その自伝を読んでるとそうなの。だからあやしいものばっか売って大儲けした人たちがどんどんどんどんメディア王になっていって。で、あるとき、「こりゃだめだ」って言って規制する省庁、お役所ができて、規制するようになったの。

森:へー。

マ:日本のメディアでいうとフランク馬場さんっていう人がいて、在日アメリカ軍の文化担当だったの。で、その人が「日本のNHKがだめだ!」って。言ってみたら今の北朝鮮みたいなものだからね、当時の日本なんて。

森:そうですね。まあ今もちょっとどうかわかんないけど。

マ:アメリカはもう当時民間放送ってのが確立されてたから。「タイム」と「スポット」って考え方で、「タイム」は完全にクライアント(スポンサー)寄り(の放送)。「スポット」は放送の中身には(スポンサーは)口出ししないっていう、その二つのやり方で(放送を)持ち込んだのね、日本に。で、なるべく「スポット」を売りなさいっていう考え方だったんだよね。当時のTBSはフランク馬場さんの意向に沿った内容しかできなかったのね。まだ占領下だったから。ところが…
フランク馬場さんの晩年をテレビ朝日が一回取材してんだけどさ、「今の日本のテレビを見てどう思うか?」って。

森:テレ朝が。

マ:テレビ朝日はまだちょっと骨があるからね。そしたらもうね、「失望してる」って。「通販とか専門チャンネルじゃないんだから」って。フランク馬場さんの理想としてたものからは相当かけはなれたものになってる。

森:へー。

マ:フランク馬場さんはNHKも改革した人なんだよね。民放をつくる前段階で、とりあえず今この放送局(NHK)をなんとかしなきゃいけない。で、生まれたのが「のど自慢」だったり、今はもう残ってないけど「街頭録音」っていう番組で。
とにかく街の人の声を届けるって。それまでは天皇とか政府側の声しか届けてなかったわけだよね。それは「上から下へのメディア」でしかなかったんだよね。だけどこれじゃだめだって。「下から上へ」っていう考え方。アメリカ人らしいよね。そういう番組が一気に増えた。

森:うん。

マ:興味があって一時期調べたんだけどさ、名古屋も白川公園に米軍キャンプがあって。まさに丸の内、うちの会社のすぐ北に中学校があるんだけど、そこに名古屋のNHKがあったの。敗戦になって、(米軍が)名古屋に入ってきたのが9月何日だったかな。当時NHKは、名古屋は第1放送と第2放送ってのがあって。第1放送は東京からの放送を流して、第2ってのは名古屋ローカルの番組。米軍はNHKの名古屋ローカルの方のチャンネルを、まあ没収だよね。あるとき何の予告もなく英語の放送に切り替わっちゃったわけ。

森:へー!

マ:その当時の中日新聞が県立図書館に残ってんだけど、「名古屋中央放送局からのお知らせ」ってのが新聞の一面に載ってて。「問い合わせが相次いでいる第2放送に関してですが…」っていう(笑)。そりゃそうだよね、朝ラジオつけたらいきなりノリノリのジャズとかが流れてくるわけだから。「新たにチャンネルを追加して、第2放送のさらにうえの周波数でこれまでの(NHK)第2放送はやっていますのでひきつづきお聞きください」みたいなそういう広告が載ってるわけ。
当時のことを想像するとすごいおもしろいんだよね。東京にFEN(Far East Network、現AFN)ってあるでしょ?あれの名古屋版。朝、いつものNHK第2放送を聞こうと思ったら、WVTCっていうアメリカのコールサインのついた放送局にいきなり切り替わってる。

森:カルチャーショックですね(笑)。

マ:NHKが60周年か何かで出した小冊子みたいなのが図書館にあって。戦時中と戦後といかに大変だったかみたいなのを引退された方々が手記で残してるんだけど、当時「すごくうらやましかった」と(笑)。上意下達(じょういかたつ:「組織の上層部・上の者の考えや命令を部下・下の者に知らせる」の意)の仕組みで原稿どおり読まないと怒られたのに、隣ではガム噛みながらレコードまわしてるアメリカ人がなんかすごく楽しそうに笑いながら(ラジオ放送を)やってると。

森:笑。

マ:笑うこと自体許されなかったわけだから、NHKでは。相当カルチャーショックだったろうし、そういうことを叩き込まれた人には衝撃だったろうしさ。(アメリカ人は)いとも簡単におれたちの放送というものをつぶしてくれたな、と。だけど、それで喜んだ人たちきっといっぱいいたんだよね。

森:アメリカは「下から上へ」ってのが、なるほど、と思いました。

マ:アメリカは今でも国営放送でVOA(voice of America)ってのがあって、昔ほど役割はないけど、今で言うとミャンマーとかに行くと聞けたりするの。日本でも聞けるんだけど、短波で。インターネットでも聞けるし。国営放送なんて堅いイメージあるんだけど、何種類かチャンネルがあって、ずーっと音楽だけ流してるチャンネルもあるのよ。国営で。

森:ふーん。

マ:「Music Mix」だったかな。で、一時間に1回だけVOAが編集したニュースを流す。まあ国の声だよね。で、あとはずーっとロックとかが普通に流れているわけ。あれがやっぱりアメリカだよなと思って。あと、日本時間ちょうど12時からはじまる「Border Crossings」なんかは「リスナーの生の声をつなぐ」っていう狙いで、世界中から電話でリクエストを募集して自由にしゃべってもらうって番組なんだけど。別にそれ、アメリカ政府がお金出す必要ないじゃんね。

森:そりゃそうですね。

マ:だけど、「アメリカっていうのはこういう国ですよ」って示すにはすごく大事な番組なんだよね、ああいうのが。「民意を反映していますよ」っていう。あくまで理想だけどね。

森:なんかそれっていやらしいのかいやらしくないのか、どうなんやろうと思いました。

マ:微妙なところだとは思うよ。

と、ラジオや放送の歴史のへー!な話を聞いたところで、その2へと続きます。
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by moriko_2011 | 2014-07-22 00:25 | 08_社会人の先輩・松永さん

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